<死ぬときはひとり>

  生きることをやめてから
  死ぬことをはじめるまでの
  わずかな余白に‥‥

<死ぬときはひとり> −表象の森− 2006.05.01記
   ――― 菅谷規矩雄「死をめぐるトリロジイ」より

 私にとってはかけがえのない書のひとつである「詩的リズム−音数律に関するノート」を遺した詩人の菅谷規矩雄は、1989(H1)年の暮も押し迫った12月30日に53歳の若さで死んだ。
直接の死因は食道静脈瘤破裂、肝硬変の末期的症状を抱え、死に至る数年は絶えず下血に悩まされていたという。
この年の春頃からか、彼は上記の3行を冒頭に置いて「死をめぐるトリロジィ」と題した手記を遺している。トリロジィとは三部作というほどの意味だが、古代ギリシアでは三大悲劇を指したようだ。

  悲しみはどこからきて、どこへゆく。
  死は、どこではじまって、どこで終るか。
  胎児は<生れでぬままの永世>を欲している。

 死ぬときはひとり―――
いまここにいたひとりが、いなくなってしまったとしたら、それはそのひとが消えてしまったからではなく、どこかへ行ってしまったからだ。
死がいなくなることであるなら、死んでもはやここにいないひとは、どこかへ行ってしまった、ということなのだ。
どことさだかにできずとも、どこかへゆく、そのことをぬきにして、死をいなくなることと了解することは、できないだろう。
じぶんにたいして、じぶんがいなくなる――ということは了解不能である。
だから、わたしは、<いま・ここ>を「どこか」であるところの彼岸へ、やはり連れ込みたいのだ。
どこへも行かない。この場で果てるのだとすれば、死とはすなわち物質的なまでの<いま・ここ>の消滅である。
だから<いま・ここ>を、あたうかぎりゼロに還元してゆけば、その究みで<わたし>はみずからをほとんど自然死へと消去してゆくことになる。
彼岸ではなく、どこまでもこちらがわで死を了解しようとすれば、それは<いま・ここ>の成就のすがたなのだとみるほかはあるまい。
外見はどのようにぶざまで、みすぼらしくみにくくとも、死は、私の内界に、そのとき、<いま・ここ>の成就としてやってきているのだ。
生きていることは悪夢なのに、なお生きている理由は、ただひとつ、死をみすえること。
死が告知するところをあきらめる−明らめる−こと。

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