<アイデンティティ-identity−自己同一性>の概念

を生み出したエリクソン-Erik Homburger Erikson-が、
この概念を基軸として8段階からなる自我の心理社会的発達段階を考察したのが下図である。

<心−こころ−凝ること> −08/11/2005記

異常と呼ばれ、病める心というものが、正常な健やかな心と思われているものと、どれほどの隔たりがあるのか、あるいはどんな壁に隔てられているのかということについて、精神病理など門外漢の私などには言うべきほどのことはなにもないのだが、ただ、自分のまだ幼い子どものその成長のなかで、時に垣間見せられる不可解な無意識の反応や挙動なりを考えてみると、正常と異常の心的領域のあいだには、本来比較的容易に往来可能な相互浸透的な帯状ともなった領域があるのではないかなどと思わされるのである。

人はだれでも無意識の裡に閉じ込められた異常な反応なり挙動が、自身に降りかかった出来事の緊迫性のなかで突然顕わになることは、稀にだとしてもありうるだろう。
私自身にだって、長い人生のなかで、少なくとも「我れを失った−心的危機状態」に陥ったことは、幾度かあったように思う。その状態を脱してのちに、アイデンティティの危機とはこういうものだったか、と思い返されたりしたものである。

心−こころ−とは、意識も無意識も含めてだが、凝る−こる−に通じているものだろう。
白川静の常用字解によれば、心という字は象形文字であり、心臓の形をあらわしている。
さらに和語としての「こころ」は元来「凝り固まるところ」の意味である。
ならば、心−凝り固まるところ−のその凝り型が過ぎたれば、異常ともみえようし、病めるともみえよう。
その逆に、凝り型が少なければ溶けるに似て心あらずとなり、これまた異常とも病める心ともなる。
その心−こころ−の凝り型において、個々に顕れるありようはそれぞれ固有の刻印を帯びていて、万能の物差しなどある筈もなく、つねに手探りで他者の心へと向かわねばならないのだ。

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