ほととぎすこよ鳴き渡れ‥‥

061227_081

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの−山頭火>

−世間虚仮− 田神天狗

昨日の朝、ひょいと起ち上がったとき、ギックリ腰になりかけた。坐骨から右腰、大腿部にピリリときたのだ。
一瞬の隙でもっと大変なことになりかねないところだったが、それはどうやら免れたらしい。さりながらそろりそろりと慎重に歩かねばどうにも危うい。それでなくとも右膝にずっと痛みがあり、正座などとても覚束ない状態で、これでは山頭火もサマにならない。
もともと、今日こそは「田神天狗」殿のお世話にならずば、と思っていたのだが、このざまでは愚図々々している場合じゃないので、幼な児を保育園に送り届けたその足で、大和川を越えたばかりの鉄砲町へと車を走らせた。
南海本線「七道」駅前の通り、古びたしもたやの軒先に小さく「田神天狗」と書かれた札を吊した、その家の前に車を停めて、家中へと入る。
田神天狗とは、姓が田神さんと仰る天狗さんにて、鍼と按摩の施療院である。
鍼灸師をして天狗と称するのはかなり昔へ遡るのだろうが、寡聞にしてよくは判らない。おそらく修験道の山伏が天狗と同一視されてくることから派生してこようかと思われる。
この天狗殿に初めてお世話になったのはもう何年前のことだったか。
この時、1ヶ月ばかりの間、私はひどい腰痛に悩まされていた。接骨院やら整体に掛かってもいっかな改善しない。ある病院でMRIも撮ってみたが、ヘルニア症状を呈していると判ってはみても、手術なんてものは藪蛇もいいところで、はなからご免蒙るべし。となると通り一遍のリハビリくらいしか養生の術はない。
そこへある知人が「騙されたと思って一度行きましょう」とばかり半ば強引に連れてこられたのが、この田神天狗殿だった。
天狗殿の鍼療治は、腰の周囲の神経をピリピリと刺激してずいぶんおっかないものだったが、施療後は信じられないほどに腰が軽くなって、かなり動きもスムーズなものになっていた。
この時は、悪くなって日時も経ていたから相当重症になっていたのだろう。それから4.5日を置いて二度通い、都合3回の施療でほぼ完治した。
保険が効かないものの、1回の施療が3500円で、計10500円也。これで1ヶ月余り苦しみぬいた腰痛から解放されたのだから、ありがたいことこのうえない。
それからは、よほど疲労が腰に溜まってきたかと思うほどに、年に1.2度天狗殿の厄介になるのを繰り返していたのだが、このところすっかりご無沙汰で、このたびは3年ぶりの訪いとなってしまったのだ。
その3年のうちに、有為転変、ゆく川の流れにも似て、天狗殿の身辺も大事に襲われ、変わり果てていた。
いつも一緒にマッサージ施療をしていた夫人の姿が見えない。聞けば、2年前に亡くなったという。「ガンだった、それも末期ガン。あっという間だった、発見されてたった20日余りで逝ってしまった」という。「胃ガンだったけれど、その病魔の進行の激しさは稀にみるものと、医者は言っていた」と。
聞かされて、さすがの私も返す言葉がない。彼女は私と年も近いだろうと思っていたが、確かめればなんと申年の同年、けっして愛想上手とはいえないが、おだやかな笑顔が可愛い素敵なおばさんだったのに‥‥、好い人が、そんなに呆気なくも召されてよいものか、非情といえばあまりに非情、嗚呼。
そういえば、見るからに天狗殿もめっきりと老いたようである。彼女の明るい声がもう響くこともない畳の施療室に、独りぼっちで客待つ彼の姿に、往年の覇気は感じられず、夫唱婦随の片肺を失った寂しさのみが漂っているかのようだ。
それ以上の交わす言葉もなく、私は彼の促すままに俯せに長々と身を横たえた。
天狗殿曰く「危ないねえ、すんでのところで坐骨神経痛になるところだヨ」、と聞いて肝を冷やすような気分に襲われた。「膝はネェ、難しいんだ。水が溜まっているようだとネ、治りが悪いどころか、ちょっと取り返しがつかない」、成る程、そうだろうとも合点がいく。
一日おいて今日の調子はといえば、膝はずいぶん軽くなって、ちゃんと屈曲できるようになったが、それでも正座するにはまだ痛さが残る。腰のほうは、昨夜、かなり危ない場面に遭遇したが、今朝起きてみると、嘘のように軽くなっている。鍼の効果のほどはどうやら2.3日経てみたほうがよく判るらしい。
私としては9日の土曜日に「山頭火」を無事務めあげなくてはならないのだから、事前にもう一度天狗殿のお世話にならずばなるまい。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏−58
 あぶら火の光に見ゆるわが鬘さ百合の花の笑まほしきかも  大伴家持

万葉集、巻十八。
邦雄曰く、天平感宝元(749)年5月9日、秦伊美吉石竹の館での宴、主人が客の家持他二人に百合の花を環にした頭飾りを贈り、それぞれ花鬘(かづら)を題として歌ったもの。純白の百合が燈明に映えていよいよ気高く華麗であった。男らは一人一人髪に翳して見せたことだろう。極彩色の絵詞の一齣さながらたけなわの宴の一場面を写している。他二首とは格段の差あり、と。


 ほととぎすこよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む  大伴家持

万葉集、巻十八、掾久米朝臣広縄の館に、田邊史福麿を饗する宴の歌四首。
邦雄曰く、今宵は闇、遙かから声のするのは山から鳴き下るほととぎす。燈をあまた灯しつらね、月光の代わりに天まで照らして、翔る姿も眺めよう。声を待ち、かつ聞いて愉しむ歌は八代集にも夥しいが、鳥の姿を燈火に映し出す、この絵画的な発想と構成は稀に見るもの、さすが家持と膝を打ちたくなる。万葉集でも、この鳥、ほとんど「鳴き響(とよ)む」のみ、と。


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