2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

わが恋はおぼろの清水いはでのみ‥‥

−表象の森− 舞台芸術・芸能見本市から消費文化批判をしながら、29日もまたぞろ舞台芸術・芸能見本市へ。 いまどきのダンスシーンの思潮や傾向を、たとえ頭で解っているにせよ、観ておくに若くはないと、夕刻より連れ合いも幼な児も伴ってのお出かけと相成っ…

玉くしげ明くれば夢の二見潟‥‥

−表象の森− 地下鉄と舞台芸術・芸能見本市大阪発信の「舞台芸術・芸能見本市」も今年で7回目だという。 類似の企画が東京にもあるが、こちらは「東京芸術見本市」といい、11回目が来春3月開催の予定とか。 東京と大阪では、イベントスケールにおいても開きが…

−表象の森− 蝉と螢と人間と 長梅雨もやっと明けて、一気に夏本番。 早朝、近くの公園の樹々の下をそぞろ歩くと、ひととき蝉時雨に包まれ、不意に異空間に滑り込んだかと思われるほどだ。 蝉たちのさんざめきは夏の一炊の夢にも似て儚いが、それにしてもこの…

近江にか有りといふなる三稜草‥‥

−表象の森− 非協力という抵抗 「その写真は、最近まで、とこかに保存されてあった。それは、僕のむつきのころの俤だが、それをみるたびに僕は、自己嫌悪に駆られたものだった。まだ一歳か、二歳で、発育不全で、生っ白くて元気のない幼児が、からす瓜の根の…

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の‥‥

−表象の森− 紫色の火花と芥川の自殺昭和2(1927)年の今日、7月24日未明、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」なる言葉を遺して自殺したのは芥川龍之介。薬物による服毒自殺だが、35歳というまだ若い死であった。 芥川の忌日を「河童忌」というようだが、…

いさ知らず鳴海の浦に引く潮の‥‥

−表象の森− 古層の響きと近代ナショナリズム昨夜(7/21)は、「琵琶五人の会」を聴きに日本橋の文楽劇場へ。 毎年開催され、今年でもう17回目というから平成2(1990)年に始まったことになるが、私が通い出してからでも6年目か、7年目か? 文楽劇場3階の小ホール…

夢のうちに五十の春は過ぎにけり‥‥

−表象の森− 「海馬−脳は疲れない」新潮文庫版「海馬−脳は疲れない」は、とにかく解りやすく、面白くてためにもなる。新進気鋭の脳科学者・池谷裕二と糸井重里による対談で、脳と記憶の最新の知見に触れながら、老若を問わず読む者をあかるく元気にしてくれる…

底澄みて波こまかなるさざれ水‥‥

−表象の森− 承前・河野水軍の末裔、僧家と教職家系源平の戦いで名を馳せた河野水軍の河野氏は伊予国の豪族で、もとは越智氏と称し、伊予国越智郡を本拠とし、国郡制が定められてからは越智郡司として勢力を振るっていたとされる。 水軍を擁し源義経を助けて…

暗きより暗き道にぞ入りぬべき‥‥

−表象の森− 「押し紙」と新聞配達員の苛酷な雇用実態今日は十干十二支ひとめぐりして赤子となって2度目の私の誕生日だというのに、なんの因果か、暗いというか重い話題について書くこととなっってしまった。お読みいただく諸賢にはいつもお付合いいただいて…

北山にたなびく雲の‥‥

−表象の森− 河野水軍の末裔、僧家と教職家系私の小学校時代の恩師について二度ばかり触れたことがある。 一度は昨年の暮近く居宅訪問した際のこと、続いてはこの3月、彼の趣味の版画の会・コラゲ展についてと。 恩師の姓は河野、決して少なくない姓だが、念…

忘られてしばしまどろむほどもがな‥‥

−表象の森− 円空の自刻像 作りおくこの福(さいわい)の神なれや深山の奥の草木までもや円空の詠んだ歌とされる。和讃などにも似て、歌の技巧など特筆するものはないが、信仰の心の深さや、木仏を刻みつづける思いの深さが沁みわたる。 円空の遺した歌は発見さ…

をりをりのその笛竹の音絶えて‥‥

−表象の森− 「日本仏教史」を読む思想史としてのアプローチと副題された末木文美士著「日本仏教史」(新潮文庫)は、土着化した日本独自の仏教を思想史的に概括したものとして、なかなかの好著とみえる。 1949年生れの著者は現在東京大学大学院人文社会系研究…

友と見よ鳴尾に立てる一つ松‥‥

−表象の森− 三枝と地底旅行寄席と大和田さん今年も7月の地底旅行寄席は、恒例の桂三枝登場で客席も賑わうだろう。 今夜の午後6時からだ。 三枝と地底旅行寄席の所縁については以前にも書いたので省略。 この寄席を主催する旧・田中機械工場跡のレストランパ…

わが屋戸のいささ群竹吹く風の‥‥

−表象の森− 「文月会展」再び、と「観潮楼歌会」昨日は、いつもの稽古を終えてから、京都へと「文月会展」の再度の訪問。 先日は旧知の市岡OBたちとの飲み会が目当てのようなもので、独りで出かけたため、あらためて連れ合いと幼な児とを伴って、という次第。…

風さむみ岩もる水はこほる夜に‥‥

−表象の森− 五百羅漢過去に二度ばかり北条の羅漢寺(現・加西市北条町)を訪ねたことがある。 此処の五百羅漢の石仏たちは、すべてが素朴な形状でそれでいてわずかに表情はみな異なり、なにやら儚く侘しげで、黄昏迫る頃ともなると、郡立する羅漢たちに囲まれ…

紅の千入のまふり山の端に‥‥

−表象の森− 下下の下国 下下も下下下下の下国の涼しさよ 一茶 ゲゲモゲゲ、ゲゲノゲコクノ、スズシサヨ と読む。 文化10(1813)年、一茶51歳の句作とされる。これより遡って、まだ江戸にいた頃、文化3(1806)年の「俳諧寺記」に、病身をかこつ忌々しさも手伝っ…

水鳥の浮き寝絶えにし波の上に‥‥

−表象の森− サラダ記念日今日7月6日は「サラダ記念日」だという。 一冊のベストセラーとなった歌集が記念日を産み落とすという日本の消費社会。超資本主義といおうと高度資本主義といおうと、当節、ホリエモンにしろ村上ファンドにしろ、私などにはよく解ら…

須磨の浦藻塩の枕とふ螢‥‥

−表象の森− 七夕の「文月会展」 今年も七夕の如く「文月会展」がやってきた。 すでに昨日からオープンして、9日の日曜まで。 馴染みとなっていた三条柳馬場の吉象堂から会場を移して、 昨年からは三条木屋町の「ギャラリー中井」での開催となっている。 日本…

みだれゆく螢のかげや‥‥

−表象の森− 再び「竹の花」 国内紛争の絶えないネパールのポカラで、学校に行けない最下層の子どもらのために、自ら小学校を作り、現地で徒手空拳の奮闘をつづけている車椅子の詩人こと岸本康弘は、20年来の友人でもあるが、その彼には「竹の花」と題された…

篝火の影しうつればぬばたまの‥‥

−表象の森− 「竹の花」60年とも120年とも諸説紛々、極端に長い開花周期とされる「竹の花」だが、講談社刊「日本の歴史09−頼朝の天下草創」を読んでいて、当時の大飢饉が、その竹の開花周期と因果関係を推測しうるのではないか、という興味ある説の記述があっ…

ものおもへば沢の螢もわが身より‥‥

−表象の森− 「度し難い」人条理を尽してもわからせようがない、どうにも救いがたい人というのは、滅多にお目にかかることはないけれど、それでも世間には居るもので、恣意性百パーセント、自分のエゴばかりが前面に出る、そういう人と関わり合いにならざるを…