2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

さざれ石のおもひは見えぬ中河に‥‥

−表象の森− 金子光晴をいま一度金子光晴の「こがね虫」や「鮫」などの初期詩編はともかく、その晩年についてはほとんど知らないにひとしい私だが、光晴忌に因んでネットに散見できるものをいくつか読みかじってみたところ、もともと初期詩編にかなりの衝撃を…

飛ぶ螢まことの恋にあらねども‥‥

−表象の森− 百万遍今は昔のこと、京都は烏丸今出川の同志社へ通い始めた頃、 左京区の京都大学のそば、南北に走る東大路通りと東西の今出川通りが交差するところ、此処が百万遍と呼ばれるのに、どんな謂れがあることかしばらくは見当もつかなかったものだが…

晴るる夜の星か川べの螢かも‥‥

−表象の森− 秋成と芙美子昨日27日は秋成忌、「雨月物語」などの上田秋成。 今日28日は芙美子忌、「放浪記」の林芙美子だ。 上田秋成は、享保19(1734)年−文化6(1809)年、大阪・堂島の人とされるが、事実は遊郭に私生児として生まれたという。奇特にも4歳にし…

移り香の身にしぼむばかりちぎるとて‥‥

−表象の森− 引き続き閑話休題、22625日数日前の夕刻のこと。私がすっかり失念していたものだからだろうが、同居の連れ合いが「今日は私の誕生日でした。」と藪から棒に声高に宣うたものだから、そばに居た幼な児はビックリしたように母親をふりかえって一瞬…

これを見よ上はつれなき夏萩の‥‥

−表象の森− 閑話休題、6.26? 「6.26」を「ろてんふろ」と読むそうな。故に本日は「露天風呂の日」だという。 岡山県湯原温泉の若者たちのアイデアで昭和62年から始められたという町づくり事業である。 語呂合わせで記念日を制定し、街おこし事業の一環とし…

みよしのの吉野の瀧に浮かび出づる‥‥

−表象の森− 白土三平の「忍者武芸帳」 漫画−アニメの系譜における巨匠といえばなんといっても手塚治虫なのだろうが、漫画−劇画−コミックスの系譜で革命的な存在であったのは白土三平が屈指だろう。 私が嘗て長編の漫画をまがりなりも通読したのは、白土三平…

あづまのに紫陽花咲ける夕月夜‥‥

−表象の森− 独歩忌「武蔵野」や「忘れえぬ人々」の国木田独歩は、明治41年6月の今日(23日)、肺結核で死去、明治4年7月生れだから37歳に至らずの早世だった。 野口武彦によれば、独歩が「あのころ私煩悶してました」と振り返り語ったという「あのころ」は明治…

忘らめや葵を草に引きむすび‥‥

−表象の森− 写真展「四季のいろ」昨日(21日)、日本風景写真協会が主催する、「四季のいろ」と題された会員選抜展を観に出かけた。 会場は梅田のマルビル3Fの富士フォトサロンにて。観終わった後、中務さん(市岡13期)に初めての顔合わせができたのは幸いであ…

わがためは見るかひもなし忘れ草‥‥

−表象の森− 円空仏と生誕の地生涯12万躰の造仏を発願し、5200余躰の現存が確認されているという円空仏の飄逸で素朴な味わいは、観る者の心を和ませ、惹きつけてやまない魅力に溢れている。木っ端(こっぱ)仏と呼ばれ、だれもがかえりみないような木の屑にも数…

問へと思ふ心ぞ絶えぬ忘るるを‥‥

−表象の森− 学名「オタクサ」紫陽花の学名をOtaksa−オタクサ−というそうだが、この名の抑もの由来、江戸も幕末の頃、長崎出島のオランダ商館付きの医師として来日したシーボルトが、その愛妾の呼び名「お滝さん」に因んでつけたものだ、というエピソードはか…

けふもけふ菖蒲も菖蒲かはらぬに‥‥

−表象の森− ドナテッロの「マグダラのマリア」ものづくりにおける手技(てわざ)の果てしなき格闘というものは、時にその人の想念を超えて、思いもせぬ結実にいたることが、滅多とないことだが、稀にあるものだ。 わが師の神澤は、これを「Demonの宿りし」或い…

稀にくる夜半も悲しき松風を‥‥

−表象の森− 永長の大田楽われわれヒトという種が死に向かって生きざるをえないかぎり、世の中どのように変われど、いつの時代においても終末観や末法観というものは大なり小なり世相に潜み、この地球も、われわれの社会も、たえずカタストロフィの予感に満ち…

家にあれば笥に盛る飯を草枕‥‥

−表象の森− ATOK2006先頃、語入力ソフトをMS-IMEからATOKに変えた。 私のような圧倒的に日本語でしか作業していない者にとって、MS-IMEの非効率、頭の悪さは苛立たしいばかりで、もういい加減うんざりでしていたところ、ATOK2006の試用版があるのに気づいて…

はかなしなみつの濱松おのづから‥‥

−表象の森− 連光寺の法話市内福島区の海老江5丁目に、市岡期友の船引明乗君が住職の浄土真宗連光寺がある。この寺では毎月2回昼と夜に檀家を相手に法話を行うのを、もうずいぶん長く続けているそうな。 昨夜はこの法話に、同じ期友のスミヤキスト美谷君が登…

忘れずよほのぼの人を三島江の‥‥

−表象の森− 念は出離の障り嘗て私が一遍の15年におよぶ遊行と踊り念仏を捉え、説経小栗の世界とを重ね合わせて舞台を創る、というその動機とヒントを与えてくれたのが、栗田勇の「一遍上人−旅の思索者」(新潮社−昭和52年刊)であった。 その書の終章近く、一…

あづま路の木の下暗くなりゆかば‥‥

−表象の森− 琵琶界の巨星墜つ琵琶奏者として唯一人の人間国宝だった山崎旭萃さんが5日未明逝去。 各紙一斉に報じていたのだが不覚にも気づかず、昨日偶々、数日前に草稿なった説経小栗「くまのみち」を携え、節付をお願いするべく奥村旭翠さん宅を訪ねて知る…

影見れば波の底なるひさかたの‥‥

−表象の森− 賈島の「推敲」 中国唐代の詩人・賈島(カトウ)のことが下記の貫之詠の解説に登場しているので、この賈島に因んだ「推敲」の故事来歴について。 詩人というものすべからく言葉の用法には吟味熟考あって当然といえば当然のことだが、この賈島という…

秋風のいたりいたらぬ袖はあらじ‥‥

−表象の森− 長明忌 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなしいわずと知れた「方丈記」冒頭の一節だが、今日6月8日は長明忌にあたるとか。 とはいっても旧暦のことで、長…

渡れどもぬるとはなしにわが見つる‥‥

−表象の森− 蕭白讃 「郡仙図屏風」の奇矯破天荒な異様世界に圧倒されるかと思えば、「蓮鷺図」の滋味溢れる柔和なタッチと構図のこれぞ水墨画という幽谷世界の対照に眼を瞠りつつ、蕭白の画集(講談社刊−水墨画の巨匠第8巻)に眺めも飽かず日ながひとときを過…

御手洗や影絶え果つるここちして‥‥

−表象の森− ふたつの讃美歌西洋の曲に日本語の歌詞をのせる場合、日本語の高低アクセントはあたうかぎり無視された。 もともと高低アクセントは可変的で、さほどたしかな恒常性を有していないから、それは可能だったのである。 しかし、ことばのリズム、音数…

思ひやれ都はるかに沖つ波‥‥

−表彰の森− 「愛染かつら」−昭和十三年「愛染かつら」の映画が全国の女性を熱狂させたという昭和13年。―― 主題歌の「旅の夜風」 ――花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる途、泣いてくれるなほろほろ鳥よ、月の比叡を独りゆく 一種行進曲風のスタイル、とくに…

風変はる雲のゆききの夕しぐれ‥‥

−表象の森− 琵琶弾き語りによる説経小栗の草稿−承前<照手の車曳き> 生まれぬさきの身を知れば、生まれぬさきの身を知れば 哀れむべき親もなし 運命の糸の綾ふしぎ、今業平とうたわれし、判官小栗の成れの果て、 知るや知らずやともどもに、変わり果てたる…

むらむらに雲のわかるる絶え間より‥‥

−表象の森− 琵琶弾き語りによる説経小栗の草稿これは、妖怪Performer.デカルコ・マリィに捧げる、琵琶弾き語り台本の草稿である。 <餓鬼阿弥小栗の蘇生> 冥土黄泉もまた阿修羅道とは、こは如何せむ 冥土黄泉もまた阿修羅道とは、こは如何せむ 非業の死を遂…

誰が契り誰が恨みにかかはるらむ‥‥

−表象の森− 竪筋と横筋江戸中期の歌舞伎狂言作者、初世並木五瓶(1747年−1808年)は大阪道修町に生れ、大阪浜の芝居の戯作者として活躍、「楼門五山桐」など壮大なスケールの時代物が評判をとり、上方歌舞伎随一の人気戯作者となったが、寛政6年、当世人気役者…