2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

それとなき夕べの雲にまじりなば‥‥

−表象の森− 小栗判官滅多に戯曲など読まない私だが、このほど梅原猛の「小栗判官」を読んでみた。市川猿之助一座のスーパー歌舞伎「オグリ」の上演台本の元となったものだが、その舞台への関心からではない。嘗て私自身が一遍の踊り念仏と説経小栗をネタにし…

熟田津に船乗りせむと‥‥

−表象の森− 栃拭漆楕円ノ器3月12日付で触れた伝統工芸展で、村上徹君の木工作品「栃拭漆楕円ノ器(トチフキウルシダエンノウツワ)」が見事「近畿賞」の栄に輝いた。これはささやかなりとも彼を囲んで祝宴あげるべしと、昨日(5/29)が最終日の「日本伝統工芸近…

さみだれに花橘のかをる夜は‥‥

−表象の森− 明治ミリタリィ・マーチ−03<間のび−思い入れ>−センチメンタリズム社会にむかう大衆の「ナショナリズム」がセンチメンタリズムとして表現されるに至る過程とは、2/4拍子と同一のリズム原理を保持しつつ――2/4→4/4→6/8→3/4拍子‥‥と変貌をかさ…

菖蒲にもあらぬ真菰を引きかけし‥‥

−表象の森− 栄利秋の彫刻「木の仕事」 畏友というには先輩にすぎる。奄美大島の出身、南国の島の民らしい風貌と体躯に、人懐っこい柔和な笑顔がこぼれるとき、一瞬、黒潮に運ばれてくる暖かい大気に包まれるような心地よさがある。栄利秋兄、1937年生れの彫…

雨はるる軒の雫に影見えて‥‥

−表象の森− 明治ミリタリィ・マーチ−02<根源の解体>――「戦友」 「敵は幾万」や「勇敢なる水兵」などの軍歌、「箱根八里」などの中学唱歌、そして寮歌から「鉄道唱歌」までをふくむおなじリズム型、単一強化の行軍リズムとでも名づけるべきものが明治ミリタ…

袖の香は花橘にかへりきぬ‥‥

−表象の森− 明治ミリタリィ・マーチ−01<洋楽>の土着形式「われかにかくに手を拍く‥‥」と中原中也は詩「悲しき朝」から身をふりほどくように、その最後の一行をしるしている。――中也の詩の根源には、<三拍子とはなにか>の問いときりはなせないような、ひ…

夕暮はいづれの雲のなごりとて‥‥

−表象の森− 八幡と稲荷東大寺境内の東の端には手向山八幡宮があるが、これは東大寺建造事業にあたり九州の宇佐八幡神が八百万の神を代表して祝福した故事に由来するという。この故事は仏教をもって鎮護国家をなそうとする聖武帝の強い意志の反映であろうが、…

橘のにほふ梢にさみだれて‥‥

−表象の森− 満年齢と新制5月24日、今日は何の日かとググってみれば、「年齢を満で数える法律」が公布されたとあった。昭和24(1949)年のことだ。法の施行は翌25(1950)年1月1日からだったという。 満年齢の適用は終戦後すぐのことだろうと、あまり深く考えもせ…

照る月の影を桂の枝ながら‥‥

−表象の森− 月の桂 月には高さ五百丈の桂の木が生えているという。 「月中に桂あり、高さ五百丈、常に人ありて、これを切る‥‥」と、中国の故事に由来する。 ある罪人に月中の桂を切り倒すことが課せられるのだが、それはいくら切ってもまたすぐに生え元にも…

時やいつ空に知られぬ月雪の‥‥

−表象の森− 上京第27番組 維新の明くる年、明治2年の今日、5月21日、早くも日本初の小学校が京都に登場している。その名が「上京第27番組」小学校である。上京第27番組とは奇妙な名と思われようが、いわゆる封建時代の遺制である町組制度に基づくものだ。 明治…

ほととぎす鳴くや五月のあやめ草‥‥

−表象の森− Pieta−ピエタ− Pieta−ピエタ−とは元来、福音書には記載のない、イタリア・ルネッサンス期に登場した新しい主題(画題)といえる。原義はイタリア語で「慈悲」だが、ここでは「哀悼」の意で用いられる。物語的には「十字架降下」の延長上の場面とい…

ときも時それかあらぬかほととぎす‥‥

−表象の森− 偏桃体と前頭連合野46野いわゆるよくキレる子にならないために、幼児期(3〜6歳児)における「じゃれつき遊び」がとても有効だ、という。 幼児に対し、日課のようにして、情動的刺激−ある種の興奮状態−を、短時間集中的に与えることが、キレない子…

おのが音は誰がためとても‥‥

−表象の森− 50年を経てなお‥‥ 「おとろしか。・・・人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは。・・・これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。犬か猫の死にぎわのごたった。ふくいく肥えた娘でしたて。・・・」 石牟礼道子「苦海浄土」、第…

鳴きくだれ富士の高嶺のほととぎす‥‥

−表象の森− 透谷忌今日、5月16日は透谷忌。 「恋愛は人生の秘鑰(ヒヤク)なり」 あるいは 「人の世に生るや、一の約束を抱きて来れり。人に愛せらるゝ事と、人を愛する事之なり。」 と言った夭折の詩人北村透谷は、日清戦争(1894年)前夜、「我が事終れり」と2…

やよや待て山ほととぎすことづてむ‥‥

−表象の森− 厄除神の将門 昨日、東京の神田界隈は、天下祭りともいわれた神田祭で一日中賑わっていた筈だが、今日は京都の葵祭、御所から下鴨・上賀茂神社へと斎王代の巡行で王朝絵巻をくりひろげる。葵祭りの起源には薬子の変(810年)が伏線としてある。嵯峨…

心のみ空になりつつほととぎす‥‥

−表象の森− 迷走の日々網野善彦ら編集の講談社版日本の歴史03巻「大王から天皇へ」は、5世紀の倭五王時代から7世紀後半壬申の乱を経て古代天皇制成立の天武期までをかなり詳細にカバーする。昔なら史実としてはほとんど藪の中だった世界が、60年代以降の考古…

ほととぎすそのかみ山の旅枕‥‥

−表象の森− くりくりしたる一茶47歳、文化7(1810)年の句三題。 雪解けてくりくりしたる月夜かな「くりくりしたる月夜」という把握が実にいい。擬態語「くりくり」は、いかにもその内部から充実した、弾むような形容だ。楸邨氏は「雪解けから月へ微妙な感覚の…

一声はおもひぞあへぬほととぎす‥‥

−表象の森− 狂水病と朔太郎今日は朔太郎忌。 萩原朔太郎といえば「月に吠える」、「青猫」あるいは晩年の「氷島」。 白秋に師事した朔太郎が処女詩集「月に吠える」を世に問うたのは大正6(1917)年、彼はこの一作で全国的に名を知られるようになるほどの鮮烈…

鶯の古巣より立つほととぎす‥‥

−表象の森− 死せるキリスト「こんな死体をまのあたりにしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか?」と、ドストエフスキーは「白痴」のなかで死の直前のイッポリートに語らしめたが、その問題の絵が、木版画シリーズの「死の…

桜いろに染めし衣をぬぎかへて‥‥

−表象の森− 家二軒 さみだれや大河を前に家二軒つとに知られた蕪村の句。子規以来、写生句の代表的なものとしてよく引き合いに出され、そのきわだった絵画的なコントラストが人口に膾炙されるが、安東次男はこの句の裏に隠されたもうひとつの面影を見る。安…

しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

<古今東西−書畫往還> −富岡多恵子「中勘助の恋」を読む− ずいぶんと面白かったし、非常に興味深く読んだ。 著者が雑誌「世界」に、折口信夫の歌人としての筆名「釈迢空」は戒名であったと、彼の出自と形成にまつわる謎に挑んだ「釈迢空ノート」の連載を始…

今朝よりは袂もうすくたちかへて‥‥

−表象の森− 愚にかへる 春立つや愚の上にまた愚にかへる山頭火ではない、一茶の句だ。 文政6(1823)年、数えて61歳の還暦を迎えた歳旦の句である。 前書に「からき命を拾ひつつ、くるしき月日おくるうちに、ふと諧々たる夷(ヒナ)ぶりの俳諧を囀りおぼゆ。−略−…

花鳥もみな行きかひて‥‥

−表象の森− こどもの日 端午の節句の由来は、中国の春秋戦国時代の屈原にあるというから今から2300年もさかのぼる。諫言に遭い楚王より左遷された憂国の士屈原は、故国の将来に絶望し、石を抱いて汨羅江(ベキラコウ)に入水自殺したのだが、その日が旧暦の5月…

おもひやれ空しき床をうちはらひ‥‥

−表象の森− 海神の馬19世紀末のイギリスで活躍した絵本挿絵画家ウォルター・クレインが残した油絵の代表作に「海神の馬」というよく知られた幻想的な作品がある。絵を見れば記憶のよみがえる人も多いだろうが、海岸に打ち寄せる波の、その砕けた波頭が、たて…

妹が髪上竹葉野の放ち駒‥‥

−表象の森− 予感と徴候、余韻と索引生きるということは、「予感」と「徴候」から「余韻」に流れ去り「索引」に収まる、ある流れに身を浸すことだ、と精神科医中井久夫はその著「徴候・記憶・外傷」の「世界における索引と徴候について」という小論のなかで言…

逢ふことは遠山烏の狩衣‥‥

−表象の森− Slow-motionとClose-up日常の行動であれ、スポーツの動作であれ、それがSlow-motionで再現されると奇妙に舞踊といったものに似てくるという経験はだれにでもあるだろう。動きというものはそれがゆっくりと展開されればされるほど、Reality=現実…

思ひ川たえずながるる水の泡の‥‥

−表象の森− 死ぬときはひとり 生きることをやめてから 死ぬことをはじめるまでの わずかな余白に‥‥私にとってはかけがえのない書のひとつである「詩的リズム−音数律に関するノート」を遺した詩人の菅谷規矩雄は、1989(H1)年の暮も押し迫った12月30日に53歳の…