2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

酒やめておだやかな雨

―表象の森―「究極の田んぼ」耕さず肥料も農薬も使わぬ−不耕起移植栽培と冬期湛水農法不耕起とは文字通り、田んぼの土を耕さずに、苗を植えること−イネを刈り取った後のイネ株をそのまま残し、そのイネ株とイネ株の間に今年の新しい苗を植える。移植とは、あ…

樹彫雲影猫の死骸が流れてきた

―世間虚仮― 無煙タバコ騒ぎ今月、JTがさしあたり東京都内限定で売り出したという「ゼロスタイル・ミント」なる無煙タバコの扱いをめぐってなにかと喧しく取り沙汰されているそうだ。ニコチン含有量は0.05mgと従来の軽めのタバコと比較して1/20、タールの含…

土手草萌えて風も行つたり来たりする

―世間虚仮― シニア世代の演劇ブームシニア演劇がずいぶんと活況を呈しているという。一説には全国に60以上の劇団があるとも。50代からはじめる人たちでつくるアマチユア演劇のことだが、ほとんどの構成メンバーの中心は60代以上であり、80代の元気老人たちも…

水鳥の一羽となつて去る

―世間虚仮―正義の女神左手に天秤、右手に剣を持ち、目隠しをした正義の女神テミス像は、司法・裁判の公正さを表わす。天秤は正邪を測る正義を、剣は力を象徴し、目隠しは万人に平等の法理念を表わしているというが、被害者家族参加制度に則って、構に満ちた物…

飾窓の牛肉とシクラメンと

―日々余話― 被害者参加人の意見陳述面白いことにというか、或は奇妙なことにというか、現行の刑事訴訟法では、被害者参加人等の意見陳述に関わる定めの条項は、平成12年の改正によって導入された被害者等の意見陳述制度-292条の2-と、平成19年の改正で成立し…

畳古きにも旅情うごく

―日々余話― Soulful Days-38- 述べられなかった意見陳述草稿事実のみに照らして人が人を裁くはずの法廷の場もまた虚構に満ちたものであり、法廷のなかの真実とはまったくもって蜃気楼のごとき泡沫のものにすぎない。 本日午後、被告M.Mを自動車運転致死傷に…

このさみしさや遠山の雪

―表象の森― 剣岳-点の記昨年、評判の高かった映画「剣岳-点の記」をWOWWOWで観た。 原作は「八甲田山死の彷徨」-1971年発表-の新田次郎だが、こちらは1977年と6年後の発表。苛酷きわまる大自然を見事に切りとった映像は美しく、登山者や山岳愛好家にとっては…

雪に祝出征旗押したてた

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-12- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・河東碧梧桐「自詠句」二首 河東碧梧桐の自詠句二首を書いた二曲半双屏風。あるいは多くの人は、この作を変な寺、変わった作品の一言で済ませるかもしれない。だが、碧梧桐の書の姿…

枯草につゝましくけふのおべんたう

―日々余話― KAVCで歌謡ショー‥?昨日、まことに久しぶりに新開地のKAVCホールへ行ってきた。 かといって芝居や映画があった訳ではない、「KOBE流行歌ライブ」なる歌謡ショーだ。 タネを明かせば、松浦ゆみのお付合い。 このところ彼女にPromoterが付いて、キ…

寒い寒い千人むすびをむすぶ

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-11- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・中村不折「龍眠帖」 中村不折-1866〜1943-の龍眠帖。明治41年、河東碧梧桐が発行人として出版した、蘇軾の弟・蘇轍の詩を書いた手本。発売と同時に、その斬新さは大評判となり、版…

焼跡のしづかにも雪のふりつもる

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-10- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・富岡鉄斎「祝寿聯」 南画家富岡鉄斎-1836〜1924-の書。縦画よりも横画を太く、しかも字形の形を縦長に構成した隷書体風の文字は、清代の金農の書を典拠とする。無限微動という新し…

雪の法衣の重うなる

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-9- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・日下部鳴鶴「大久保公神道碑」 書道界でいう明治の三筆の一人、日下部鳴鶴-1838〜1922-の代表作。難死した大久保利通を祭る碑文。二本の近代以降の一般の書字のモデルとなった作で…

こゝに住みたい水をのむ

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-8- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・副島種臣「積翠堂」 驚くべし、恐るべし、副島種臣。 これは夏目漱石の伊豆修善寺の大患の舞台として知られる旅館菊屋のために揮毫した、明治17年の作。 篆刻は書の一種だが、方形…

さみしい風が歩かせる

−日々余話− Soulful Days-37- もうなにも‥午前10時40分頃、またも大阪地検に出かける。 刑事訴訟法において保証された被害者家族の意見陳述なるものは、検察の意に沿うものでなければ著しく制約を受けるものだということが、嫌という程よく解った。これでは…

風ふいて一文もない

−日々余話− ゆみの初キャンペーン歌手のキヤンペーンなるものに初めて付合った。歌手とはむろん松浦ゆみ。 所は十三本町の商店街筋にある恵比須堂。狭い店内に小さな仮設ステージ、その前に十数脚並べられた丸椅子に腰掛ける人や立ち見の人で満杯、道行く人…

ならんで歩くに石だゝみすべるほどの雨

−日々余話− 梯子外されて‥朝から裁判所へと出かける、10時きっかり、庁舎に入った。被害者家族には閲覧や複写が可能になった訴追資料や捜査記録等などの複写を得るためだ。 申請手続きは遅滞なくできたが、後日、業者から送られてくることになるそうで、1週…

あたたかくて旅のあはれが身にしみすぎる

−日々余話− 紙面の写真のひと公人でもなく、自分の知る人が、新聞の紙面を飾るのに出会すなどというのは滅多にあることではないが、本日の毎日新聞の夕刊を読みながら、掲載記事の中のひとりの女性の写真に眼が釘付けとなり、思わず記憶の糸を手繰り寄せてい…

旅は道づれの不景気話が尽きない

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-6- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・副島種臣「弘文天皇御製」 筆尖を刀の切先-鋒-のように尖らし、静かにしかし鋭く斬り込み、本文中では強く深く、しかしゆったりと削るように書き綴っていき、落款部で切先で鋭く切…

けさはおわかれの卵をすゝる

−日々余話− 芝桜の絨緞と白毫寺の九尺藤ライトアツプされた白毫寺九尺藤の写真が、今日の朝刊の一面に載っていたのに眼を奪われて、不意に見に行きたくなった。 このところ裁判絡みの意見陳述書の作成やらなにやらで、心身ともに疲労困憊気味だったので、な…

大海を汲みあげては洗ふ

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-5- 石川九楊編「書の宇宙-24」より明治近代化の書の中で、もっとも注目すべきは、一連の幕末維新期の唐様+日本型墨蹟型の系譜に出発しながらも、二度にわたる渡清によって六朝書の影響を受け、たんにそれらを新しい書…

解らない言葉の中を通る

−日々余話− 法廷という虚構平成22年(わ)第××××号 被告人 M.M 事件名 自動車運転過失致死傷第1回公判が、大阪地裁、×××号法廷にて、本日午前10時より開廷された。法廷という籠の中では 脚色された事実だけが 事実として活きる 所詮 ソ、レ、ダ、ケ、ノ、コ…

寺から寺へ葛かづら

−日々余話− 交通検察と副検事副検事という職掌も、てっきり司法試験合格によってなるものだと思いこんでいたところ、ごく最近、そうではないと知って、なんだか腑に落ちたような気分になっている。検察庁法で定められた「副検事選考試験」なるものがあり、そ…

まへにうしろに海見える草で寝そべる

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-4- 石川九楊編「書の宇宙-24」より・中林梧竹「寒山詩」 70歳代後半から80歳代前半に中村梧竹の書は姿を変えるが、その時期を代表する作。王羲之十七帖の臨書は、構成は草書体であるにもかかわらず、筆蝕は楷書的・行書…

トンネルをぬけるより塚があつた

−日々余話− 丹後半島ひとめぐり昨日と今日、夕日ケ浦の民宿に1泊しての丹後半島めぐり。 早朝に発てば日帰りだってできる丹後半島へは過去にも幾たびか来ている。日本三景の天橋立は素通りしてひとまず舟屋の町こと伊根町へ、此処には懐かしい想い出がある。…

もう転ぶまい道のたんぽゝ

−日々余話− Soulful Days-36- スタートラインに立てたか訴追側の検事、国選の弁護士、おそらくどちらも一年生の若い法曹人。それぞれに二度ずつ会ってきたが、これまで及び腰だった弁護人は、歯噛みするような二度目の面談の時とはうってかわって、ようやく…

君が手もまじるなるべし花薄

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-2 石川九楊編「書の宇宙-24」より・西郷隆盛「示子弟詩」 幕末維新の書の典型、臭うような精気を放つ、西郷隆盛-1827〜77-の書。 筆尖は紙に対して垂直に立ち、紙面上をうねうねぐねぐねと、のたうちまわる。連綿草書…

明けてくる山の灯の消えてゆく

−表象の森− 書の近代の可能性・明治前後-1 石川九楊編「書の宇宙-24」より近代革命の書−西郷隆盛、大久保利通、副島種臣ら幕末の志士たちは、に日本型の表現を注ぎ込み、太い字画からなるエネルギッシュな一群の特異な書を生んだ。これらの書は唐様+墨蹟とい…