2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

医のおほきこそ目ぐるほし

―表象の森― 砂山崩し<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より−自己組織化臨界現象の典型例としての砂山崩し− テーブルの上の砂山を考えてみる。砂山にはゆっくりとした一定の速度で砂を加えていく。砂が積み重なり、やがて雪崩が起…

なに事も長安は是名利の地

―表象の森― クロスなき CROSSING POINT一昨日-4/27-の兵庫県立美術館のアトリエで行われた日米のDance Companyによるコラボレーション「CROSSING POINT」を観ての感想を少し書きとめておく。鑑賞まえ、二つのダンス表現の「似て非なるもの」との謂に若干の期…

風にふかれて帰る市人

―温故一葉― 田中勝美さんへ晩春の候、室生寺や当麻の石楠花、談山神社や壷坂の山吹も満開とか、花だよりに誘われ、そぞろ野山散策のひとつもしたくなる頃です。ご夫妻にて2月の京都アルティにわざわざご到来戴いての御目文字以来のご無沙汰も、恙なくお過ご…

瓢箪の大きさ五石ばかり也

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>「雁がねの巻」−05 理をはなれたる秋の夕ぐれ 瓢箪の大きさ五石ばかり也 越人次男曰く、初折五句目は最初の月の定座だが、ここは雑躰である。秋の定座で始まった歌仙では月の座を第三、脇に上げ、季続…

理をはなれたる秋の夕ぐれ

―四方のたより― CROSSING POINT角正之君からDance Performanceの案内がきている。 New York在のEllis Wood Dance Companyとのコラボレーション・イベントだそうな。 主催は兵庫県立美術館アートフュージョン実行委員会とあり、会場を美術館アトリエ-1として…

藤ばかま誰窮屈にめでつらん

―表象の森― 悼、釜ヶ崎の詩人こと東淵修むかし さんじゅうねんくらいまえは たばこ ろくじゅっぽん さけは いっしょうざけであった じゃんじゃんまちを いっしょうざけを はらにぶちこんで じぐざぐにに しょんべんを してまわった ことがある だから そのじ…

酒しゐならふこの比の月

―表象の森― 陽春の倦怠昨日はめずらしく昼前から外出。 同期の旧友Kと逢うため地下鉄で梅田へ、約束の前に駅前第3ビル地下の古書店に立ち寄ってネットで注文していた書を受領、1500円也。 途中昼食をはさんでほぼ2時間半対座、話はとくに的もなくとりとめも…

雁がねもしづかに聞ばからびずや

―表象の森― 両吟歌仙「雁がねの巻」「雁がねの巻」は、貞享5(1688)年9月半ば、深川芭蕉庵において興行された、芭蕉と越人の二人による両吟歌仙。越人は越智氏、通称十蔵、槿花翁・負山子とも号す。明暦2(1656)年北越の生れ、流浪して名古屋に到り、野水・杜…

その望の日を我もおなじく

―表象の森― ただ即きゆく‥。「冬の日−霽の巻」も芭蕉の挙句「その望の日を我もおなじく」をもって了。 この安東次男の「芭蕉連句評釈」にはじめて触れたのは、季刊雑誌「すばる」-集英社-の連載であった。70年代末には月刊となっている「すばる」だが、季刊…

こがれ飛たましゐ花のかげに入

―世間虚仮― 子どもというものの激しさ生活のリズム変化による子どもの体調管理というものはなかなか難しいものがある。 新一年生になって2週目に入ったK女がとうとう変調をきたしてしまった。昨日の午後4時過ぎ学校から突然の電話、前日の水曜日から始まった…

おもひかねつも夜の帯引

―温故一葉― 貴田知歌子の巻花見に興じるほどの暇もなくいつのまにか桜の季節はうちすぎ、はや新緑も目映くなる頃、 なにはともあれ、長い人生のリセットをされた、との佳き春の報せに、 「おめでとう」の一言を贈りたいと思います。此方も長い間ご無沙汰して…

かげうすき行燈けしに起侘て

―表象の森― カオスの縁と共進化<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より無償の秩序‥‥。十分に複雑な化学物質の混合物は自発的に「結晶化」して、それら自身を合成する化学反応のネットワークを、集団的に触媒できる可能性がある。 …

声よき念仏藪をへだつる

―表象の森― 人形遣い吉田簑助の五十年02年に歿した文楽の4代目竹本越路大夫は生前「修業は一生では足りなかった、二生欲しい」と語ったそうな。じんと胸に響く佳い言葉だ。 しかし、これも我執が嵩じ過ぎると果ては代襲制度へと行き着くようで自戒が必要だろ…

烹る事をゆるしてはぜを放ける

―世間虚仮― 初めて尽しの一年生先週は月曜日-7日-の入学式に始まって金曜まで、晴れて新一年生となったK女のやや緊張気味の1週間をつぶさに観察。水曜日-9日-から早々と給食も始まっているが、食に偏りのある彼女の報告によると全部食べられたかと思えば次の…

秋湖かすかに琴かへす者

−四方のたより− コゲラ展と市岡写真クラブ展写真は、小学校時代の恩師河野さんが老後の愉しみにしている木版画教室の年に一度の作品展「コゲラ展」で、会場も毎年同じの真砂画廊で本日最終日。夕刻終了まぎわに同窓の何人かと示し合わせ久し振りの邂逅をと目…

三ヶ月の東は暗く鐘の声

ぼくには数字が風景に見える作者: ダニエル・タメット,古屋美登里出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/06/13メディア: 単行本購入: 22人 クリック: 229回この商品を含むブログ (155件) を見る―表象の森― サヴァン症候群の世界「ほんの一瞬のあいだ、普通の…

芥子のひとへに名をこぼす禅

―表象の森― ダンスの時間先に引いた尼ヶ崎彬「ダンス・クリティーク」の終章「身体の時間−フレーズと引き込み」稿の結びとして「ダンスの時間」と題された一文があった。 複雑系や非線形科学いうところの同期現象、引き込み理論などに基づきながら、踊る者と…

あだ人と樽を棺に呑ほさん

―表象の森― 即興論:尼ヶ崎彬の‥先だって図書館で借りたものだが、尼ヶ崎彬の「ダンス・クリティーク-舞踊の現在/舞踊の身体-」(勁草書房2004.02刊)を読んだ。近頃の舞踊評論家なるものがどんな視点から舞踊を論じているのか、一応知っておくのに若くはない…

襟に高雄が片袖をとく

<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>「霽の巻」−26 雪の狂呉の国の笠めづらしき 襟に高雄が片袖をとく 芭蕉次男曰く、「高雄」は誤記か、それとも高尾をもじったか。高尾は江戸時代、吉原三浦屋の大夫職遊女の源氏名で十一代続き、諸大名…

雪の狂呉の国の笠めづらしき

―世間虚仮― 子どもの今昔まこと子どもというのは、遊び仲間を獲るとそのエネルギーは足し算どころか乗算的に溢れかえる。 いつもなら親子三人連れかあるいは私と二人だけで、独り遊びに興じるしかない蜻蛉池公園への遠征?も、昨日は隣のマンションに住む同…

晦日をさむく刀売る年

―表象の森― Neurath's boat7日の入学式まで、毎日通った保育園という楽園を失ったK女は、いやでも日長家に居なければならない。 彼女にとっては退屈このうえないことだろうが、この一週間はわが家で年老いた父との二人暮らしがつづく。 保母さん代わりの務…