2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

寒い空のボタ山よさようなら

−表象の森−「中国書史」跋文より-承前編集者八木俊樹による幾つかの帯文・書の回遊魚たちに対して− 書と道と生の哲学-宗教-を巡る凡ての言説は見え透いた意匠に過ぎない。文字の整調と階調とあるいは変形美-デフォルマシオン-を競うのは、実用性から見ても歴…

暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ

−日々余話− 書と気力偶にでしかないが、書道教室に通っている子どものKAORUKOと習字ごっこをすることがある。概ねは子どもの筆の持ち方や運びに注文をつける役回りなのだが、自分でも2枚や3枚書いてもみる。そんな折に、とりわけ臨書よろしくモデルを見なが…

木の葉に笠に音たてゝ霰

−日々余話− 大和都市管財破綻、国賠闘争の記録もう2週間ほどになるか、嘗て木津信抵当証券の被害者救済訴訟で苦楽をともにした櫛田寛一弁護士から一冊の新刊書が贈られてきた。花伝社刊の「闇に消えた1100億円」、著者今西憲之はどうやらフリージヤーナリス…

遠く近く波音のしぐれてくる

−四方のたより− 無為なるを知る‥か昨日の午後、KAORUKOを連れて生國魂神社の坂下、應典院に出かけた。無論、小嶺由貴の公演、そのゲネプロを観るためである。着いたのは2時過ぎ、かなりの樹齢とみられる一本の桜木は、もう三分咲きほどにもみえた。二階のホ…

咲き残つたバラの赤さである

−表象の森− 筆蝕曼荼羅−明末連綿草石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より・張瑞図「飲中八仙歌巻」部分鋭い鋒の剣の乱舞、あるいは剃刀の舞いという趣き、緊張感溢れる張瑞図固有の筆触からなる明末連綿草。杜甫の飲中八仙歌を書い…

旅人は鴉に啼かれ

−四方のたより− Unit U Performance明日、明後日と、應典院で、小嶺由貴が踊る。 ここ数年、彼女はカルメンへの思い入れが強いらしい。 タイトルも、Liberte selon Carmen?、としている。 デカルコ・マリィが共演、 演奏には大竹徹と田中康之の両氏と、この人…

ラヂオでつながつて故郷の唄

−表象の森− 筆蝕曼荼羅−明代の書石川九楊編「書の宇宙-№17-文人という夢・明代諸家」二玄社刊より東アジアでは、画は書に含まれる、書の一変種である。書の表現の要である筆蝕は、画の筆蝕へと枝分かれし、書を書くように、画を描くことが始まつた。その筆蝕…

ボタ山の間から昇る日だ

−温故一葉− 何人かの友人へ同封チラシは、小生デザインのものです。 私が斯様な企画に若干の関わりがあるというのも些か意外なことでしょうが、ご案内言上致します。松浦ゆみは、往年のオールデイーズポツプス出身の歌手で、歌唱力には定評のあるところ。 彼…

風にめさめて水をさがす

−表象の森− 親鸞の書石川九楊編「書の宇宙-№16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社刊より親鸞の正像末和讃は、整った文字でも、また端正に書かれた文字でもないが、細身の書線と字姿の陰に勁-つよ-い言葉の存在感があり、目の覚めるような鮮やかさがある。 横画や…

水音の、新年が来た

−日々余話− Soulful Days-32- 略式起訴!とうとう、というより、やっと、というべきだ。 20日夕刻、我々が刑事告訴してきた事故相手方T.Kに対しての処分通知書が、大阪地検より郵送されてきた。 内容のほどは、この手の官庁文書のこととて簡潔このうえない。…

旅から旅へ山山の雪

−日々余話− 舞禅-まいぜん-とや今日の稽古を明日に振替えて、まことに久方ぶりのドーンセンターへと出かけた。 写真の如き件のEventに、インド舞踊の茶谷祐三子が出演しているためである。 チラシには「はてしなきインド文化の流れのジヤンルを超えて共演」…

身にちかく山の鴉の来ては啼く

−日々余話− 1年で11?!!3学期も明明後日の終業式を残すのみ、春休み突入となったKAORUKO、4月には3年生だ。1年で11?とは、この1年間で伸びた身長が11?という訳だが、第2次成長期ならいざ知らず、まだ8歳の彼女がこんなに急激な伸び方をするとはちょっと驚き。…

雨の二階の女の一人は口笛をふく

−日々余話−Vital React 一言で云えば、カイロプラクテイツク-Chiropractic-の発展系といえようか、コンピユーター制御による機器導入で、不調の因となっている脊椎などへの手技施療から、より精度を高めた治療効果が得られるというもの。 身体が重い、或いは…

枯草に寝ころぶやからだ一つ

−日々余話− このところ酷使がつづく徹夜した朝の2時間ほどを仮眠したあと、茫とした心身で、それでもパソコン相手になんとか残務をこなし了えた夕刻から、こんどは車に乗って、上六の都ホテルに向かった。 21階でバイキング料理に舌鼓しながら、とある打ち合…

しぐれて反橋二つ渡る

−表象の森− 顔真卿/送裴将軍詩、続編・顔真卿「送裴将軍詩」部分 /石川九楊編「書の宇宙-№13」二玄社刊より「臨北荒、恒/赫耀英」 「材。剣舞/躍游雷。随」 「風榮且廻。/登高望/天山。白雲」 ―山頭火の一句― 行乞記再び -05- 12月27日、晴后雨、市街行…

ふるさと恋しいぬかるみをあるく

−表象の森− 至高の草書「李白懐旧遊詩巻」・石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より「李白懐旧遊詩巻」は、唐代の李白の詩を黄庭堅が書いたものである。残念なことに前半部が逸失しているが、黄庭堅の草書中、最高の書であるにと…

越えてゆく山また山は冬の山

−表象の森− 「宋=意」、士太夫・文人の書・石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より中国の書論には、「晋=韻、唐=法、宋=意、明=態」という、時代と書の特徴を比喩する言葉がある。 「晋=韻-晋代の書の本質は韻である-」という場合の「韻…

星へおわかれの息を吐く

−表象の森− 多折法、筆触のひろがり石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より宋代-960〜1127(北宋)-、蘇軾-ソショク-・黄庭堅-コウテイケン-・米芾-ベイフツ-の、いわゆる北宋の三大家の書によって、書の書きぶりはがらりと一変し、書史の軸はいっ…

どこやらで鴉なく道は遠い

−表象の森− 日本語とはどういう言語か -05-・音声、音韻は文字がつくる 日本語の音節は、表記としての平仮名・片仮名が生まれたことによって、子音と母音とを切り離せない一体として成り立ってきた。中国語とは一線を画する日本語の平板な発音-一般に強弱アク…

死をまへの木の葉そよぐなり

―山頭火の一句― 行乞記-再び -01-三百余日の空白の後、昭和6年の12月22日より再び行乞記として日記が始まっている。 日記の冒頭に、表題句の外、次の3句を掲げている 死ぬる夜の雪ふりつもる 陽を吸ふ 生死のなかの雪ふりしきる12月22日、晴、汽車で5里、味…

雨のおみくじも凶か

−日々余話− Duorest Chairもう十数年、長年愛用してきたデスクワーク用の椅子 これはある知人筋から貰い下げてきた麻雀用の椅子で、とにかくパソコン相手のデスクワークにはすぐれもので、徹夜同然の長時間作業もこの椅子のお蔭でいくたび助けられてきたこと…

ひとりはなれてぬかるみをふむ

−表象の森− 顔真卿の劇的な書石川九楊編の「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№13は「顔真卿」顔真卿、初期の「多宝塔碑」部分均整や均衡がとれた端正な初唐代の楷書と較べると、顔真卿の楷書はいささか野暮にも思える。 末行の「十」や「力」の第二画の起筆は、力…

ここに住みなれてヒビアカギレ

−表象の森− 日本語とはどういう言語か -04-「第1章−日本語とはどういう言語か」・すべての言-はなしことば-は、抱合語的、孤立語的、膠着語的、屈折語的である 音声中心主義を内省することに欠けた言語学者ソシユールは「一般言語学講義」の中で、「言語と書…

更けてやつと出来た御飯が半熟

−表象の森− 日本語とはどういう言語か -03-「序章−日本語の輪郭」−からのMemo その3・漢詩、漢文とそれらの訓読体と音語は主として政治的、思想的、抽象的表現を担い、和歌、和文と訓語は主として性愛と四季と絵画的具象的な表現を担う・このような二重複線の…

笛を吹いても踊らない子供らだ

−表象の森− 日本語とはどういう言語か -02-「序章−日本語の輪郭」−からのMemo 承前・日本語とは、東海の孤島で生まれた言語である 政治的な意味での日本の成立は7世紀後半、これ以前に日本語はない。前日本語としての倭語がこれ以前に存在したことはまぎれも…

袋貼り貼り若さを逃がす

−表象の森− 日本語とはどういう言語か -01-このところ石川九楊の書論三昧の身であると綴ったばかりだが、ぼつぼつとMemoっていきたい。 これまで読んだところで最も強く印象に残るのは、出版当時サントリー学芸賞の思想歴史部門を受賞したという「書の終焉-…

凩の葉ぼたんのかゞやかに

−表象の森− 言-ことば-と節-ふし-と手-弾奏-と山中鹿之助の故事に因んだ「阿井の渡」を謡った高橋旭妙の琵琶演奏を観-聞-終えて、私の脳裏をかすめたのは、見事なまでに流麗な演技を見せたキム・ヨナに完敗を喫した、数日前の、まだ生々しく記憶に残る、あの…