おもひでは汐みちてくるふるさとのわたし場

<日々余話>


<アート哲学カフェ>

昨夜、アート哲学カフェなる催しに参加してみた。
大阪大学大学院臨床哲学・倫理学研究室が開催する公開講座の一種で
哲学カフェと銘打った気楽な集いのようだし、
佐久間新というジャワ舞踊の踊り手を招いて、実演を通して感想を語り合おうというものだから、そう肩の凝らないものだろうと出かけてみた。
場所は新世界のフェスティバルゲート4階のcocoroomなるイベント喫茶室。
出席者15.6名だったろうか。
コーディネート役の本間直樹氏は大阪大学臨床哲学の教員ということらしい。
ナイーブでソフトな語り口は学者然としたものをあまり感じさせないし、一応好感を持てる。
10分あまりだろうか、ジャワの踊りが実演される。
踊り手の佐久間新、30歳前後か、少なくとも35歳まではいくまい。
さてどれほどのキャリアだろうか、練達の踊りというにはまだまだ遠かろう。
ジャワ中部に伝わる宮廷舞踊だそうだが、後の話で、この踊り自体は第二次大戦後の50年代にこの形に成ったということだった。
ゆるやかな動き、中腰による運びは、農耕民族に共通するものとみえる。
足の運びは太極拳にも通じるが、タイ舞踊などと等しく独特の手指の反りと同時に足指もしつかり反らせて運ぶあたりが異なるか。
この足指をしっかりと反らせることは、身体の柔らかい者なら苦もないだろうが、やや硬い身体にはどうしても必要以上な筋力を要するだろう。
それによってゆったりとした運びにも拘わらず下半身の強さに伴う硬さが残る。
些か下半身にかかるその無理と、上体のややしなやかな所作に、その身体内部の連携に若干の違和を感じざるえない。
音楽はテープだが、ガムランの演奏のなかに歌唱も挿入される曲。
伝承古謡の詩句が散りばめられているのだろうが、その意味のほどは詳しくは判らないという。
詩句の意味は不明だが、背景に物語世界を骨子としているのは明きらかだ。
起承転結もはっきりした構成だったように見受けられた。
これも後の話のなかで確認されたことだが、踊りのなかで視線はほぼ伏し目がちなのだということ。
そういえば、踊りの山場あたり、転にあたるだろう個所で、上手斜めに進んできて、少しく彼方を見やるところがあったのだが、その視線にずっと遠い彼方を感じることがなかったのだが、どうやら空間感覚的には此方も彼方も仄めかす程度に楚々と演じるらしい。
とはいえ、総じて癖のない清貧とした踊り方、身のこなし方には好感は持てる踊り手ではあった。
横道に逸れず精進すれば練達の域に達せられよう。
これまた後で確認したことだが、コーディネーター役の本間直樹氏はガムラン奏者としても活動しているという。
ダルマ・ブダヤを創始した中川真氏が現在主宰するマルガ・サリの一員らしい。
現在のダルマ・ブダヤは、93年9月のPlanet5の四方館公演「迷宮のシンメトリー」で演奏出演したグループの山崎晃男氏が代表となっている。

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