人を見送りひとりでかへるぬかるみ


「レター・オブ・グランド・ゼロ」余聞


<赤松比洋子さんを偲ぶ会>

大阪自立演劇連盟第9回合同公演の
「レター・オブ・グランド・ゼロ」の公演は
4ステージで計1000名程の観客動員で3月6日無事終了し、
2回の合評会(総括会)も先週で終えているのだが、
この取組みのさなか、1月8日深夜急逝した赤松比洋子(享年64歳、劇団きづがわ副代表)さんを
偲ぶ会が本日午後、たかつガーデンにて催され、
駆けつけた200名近くが彼女の突然の死を惜しみ交々哀悼の思いを述べあった。
写真は出席者に配布された追悼文集「夢と勇気と希望」の表紙。
活花を長年の趣味とした彼女の作品写真7葉がレイアウトされている。


出席者の構成は、遺族及び親族。元勤務先(三井住友火災海上保険)関係者。そして演劇関係者。
演劇関係の内訳は、まず彼女が所属していた劇団きづがわ関係者。
今回の合同公演をなした大阪自立演劇連盟の劇団関係者。
さらに、彼女が最近の10年をリアリズム演劇会議機関紙「演劇会議」の編集者として活躍していたということもあって、関東、関西各地からの遠来の関係者。
追悼文集の構成もまた本会に集った人々とほぼ重なっている。


赤松比洋子は本名古川弘子、赤松は旧姓。
比洋子はペンネームだが、ヒヨコと読むとこの席で初めて知った。


赤松比洋子の夫、古川忠彦氏は、劇団きづがわ(設立当初南大阪演劇研究会)を共に立ち上げた人。
創立当初は彼が脚本を書き、彼女が演出するというコンビだった。
その古川氏が、この文集に明るく力いっぱい駆け抜けた!と副題した
『弘子の想い出」という長文を掲載している。


その末尾において、
「私が近年最も気になっていて今も知りたいと思うのは、彼女がこの六年間、演出の仕事をしていないということ。これは謎である。
私は、弘子の演出が好きだった。いろいろとケチをつけたこともあったが、その誠実な舞台を観たいといつも思っていた。
ひらめきはなかったかもしれないが、彼女は演出を担当すると、実に脚本を読み込むことに時間と労力をかけていた。忠実に追い詰めていく姿は、求道者の感じさえしていた。
『なぜ最近演出をしないのか』と時に質問を発しても、彼女は笑って応えなかった。」
さらには、
「何が理由か知れないけれど、かなり前から自分が表に出るのをやめようとした節がうかがえる。
裏方、世話役にまわろうと、いつか自分に言い聞かせたのではないか。」
と記している。


このあたり実情ははかり知れないが、
発足から40年の長きを、第一線でつねに精一杯明るく前向きに多くの者たちを牽引するように活躍してきた彼女のひたむきさの影にひそむ悲痛と苦悩の深さがしのばれるような気がする。



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