しぐるるや犬と向き合つてゐる

<エコログのなかのある対話から−その6>


四方館

食は人間のみならずあらゆる生命体にとっての本源的な欲求であり、
すべての欲望の原基とも云えるものだろう。
貴女のこの一文は、そのことに基づきつつ、食への欲求から、愛や知の高度な精神的欲求までをも、<欲望>の連続性で捉えているところが、とてもいいと思う。
おそらくは、貴女自身が、自分の心の病について、その病因のよってきたるところが、
この<欲望>の並外れた過剰さゆえなのだと、うすうす気づいているに違いない。
愛の力といい、生きる力といい、喧嘩に強いといい、人間力という。
あるいは反転して、ぎりぎりの状態といい、守りきるという。
これら一語一語に、貴女の<欲望>が奔流し溢れかえっている。
貴女は、自分自身の内部から溢れ出す<欲望>のままに、正直に、ひたむきに<生き>たいと挑み続けてきた。
だが、どんな場合でもそうだが、その前にはつねに大きな高い<壁>が立ちはだかる。
人がみな通過してくる思春期におけるアイデンティティーの確立は、その相克の結果とも云えるものだ。
おのれの<欲望>と立ちはだかる<壁>のあいだでなんとか折り合いをつけることだ。
貴女は、どうやらこの折り合いをつけることを、徹底的に嫌ったらしい。
自分の<欲望>にどこまでも正直に生ききるためには、いわゆる<正常>と<異常>の境界を越え出てしまうしかなかったのだ。

と、非常に雑駁な物言いだけれど、このように考えれば、私自身、貴女の心の病について、少しく腑に落ちてもくるのだが‥‥。
(2004/12/07 21:40)


私は過食症摂食障害)歴12年でもありましたし、食行動に始まるこのエコログは、私にとって非常に、それこそ本源的なものを示す文章であったかもしれませんね。

「生まれる」という受動形としてよく取り上げられるように、人間が生まれることそれ自体は「欲望」ではありえませんが、その後は、ひたすら様々な「欲望」と自己をかかわらせていくのが人生だともいえますね。

「欲望」の過剰さでいえば、何より仕事について、「大いなる勘違い」というか、「壮大な計画・目標」をもっていて、もちろん今から考えれば到底実現不可能なことばかりでした。ボランティアに明け暮れて、研究と現場(臨床)、それを出身である人文系とまったく畑違いの社会福祉学研究に出来れば持ち込みたいなど、もちろん福祉にとって必要と見たからではありますが、専門分野だけでも3つ以上はあるのは、単なる「気が多かった」だけでは説明できない「欲望」の過剰ですね。何もかもをやろうとした・・。

正直に、ひたむきに生きたいと挑み続けてきた、そうです。ただし、今は、挑戦、という行為が出来る力は、もう私にはありません。その意味でも目標は、ありません。精神障害を負った以上、仕方ないのです。

折り合いがつけることができない、ごまかしもできない、そして、たえず自分のしていること、自分自身の「正当性」を問い続けてきた、その意味では非常に「倫理的」な人間であったことも確かです。

そうです、だから、上記列挙しただけでも、人間的にも「正常」と「異常」の境界を踏み越えるしかなかったのだと思います。でも、どう考えても、勘違い人生の期間は長かったけれども、「失って形成された今の『私』という心」という「今」は勘違い人生ではないし、そして、悪い人間だった、ということもどう考えて も考えられないですね。

とにかく、16歳時から、大変色んな症状の出た(もちろん身体症状も)14年間の闘病であり、健常者世界で対等(以上)にやってきた12年ほどでしたが、
今 に至って固定化したのは、一にも二にも「不安障害」という、心の頭痛を耐えに耐えるような毎日の我慢大会、究極、もう耐えられないと思うのは、それだけですので。これが病の落ち着き方として、まだましだったほうなのか、やはりこれだけ悪化しているのだからましとは言えないのか・・。

私は今ももちろん多趣味・多関心な人間ですが、非常に「倫理的」な生き方をずっと考えている人間でもあるんですよ。今ならそう言語表現することを知った、ということで、昔からずっとそうだったと思います。倫理学はきちんとはまるでやったことがないです、カント『実践理性批判』を読み続けたくて、いつも目の前にお いているのですが(最近になって、カントの素晴らしさが実にわかってきた、文章にしてもなんにしても)。

ごまかしもだいぶできるようになったのですが、まだまだですね。でも上記の「倫理的な」人間性を持った以上、ごまかしがこれ以上できにくいのは致し方ないでしょう。

処方箋のない心の病、「この先」が大変厳しいと思っています。治らないんですからね。我慢大会と頑張れない病気であるのを無理して努力すること(日常生活に しても仕事への努力にしても)、何より、実は不安の我慢大会がきついんですね。身体障害と同じだと、今になって実感します。

どうもありがとう。今回も適切なコメントいただけて、また私自身をよりお話できたと思い、嬉しいです。
(2004/12/08 08:59)


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<風聞往来>


<解読すすむX染色体>

ヒトゲノム−遺伝子の解明が進んでいる。
HOTWIRED-JAPANのニュースで<解明されるX染色体の秘密>を読んだ。
専門知識のない私に記事内容を充分に理解することは出来るはずもないが、
記事によれば
X染色体にある1098個の遺伝子の詳細な塩基配列データの集まりについて調べたところ、
調査対象40人の女性のX染色体のすべてが変化に富んだ遺伝子活性を示し、それぞれが独自の遺伝子発現パターンを有するという。
こうしたことは女性のX染色体独特のもので、すべて同じ発現パターンだといわれる男性のX染色体と対照をなすらしい。

ご承知のように、性染色体は、女性の場合XX染色体、男性はXY染色体と、
女性(すべての哺乳類の雌)はX染色体を二つ持っているが、男性は一つしかない。
二つあるX染色体のうち、余分な複製は必要ないから片方は不活性化されると従来は考えられていたのだが、不活性化即ち沈黙=無機能という訳ではなく、不活性化している筈の遺伝子が遺伝病などの抑制に大いに与っているようだ、というのだ。

X染色体に関連する遺伝病は、色覚異常自閉症筋ジストロフィー白血病血友病など、染色体のなかで群を抜いて多く、300以上の遺伝病因子がX染色体に関連しているというのだが、
その発症が、女性よりも男性にはるかに多くみられるのは、X染色体を二つ持つ女性において、片方が突然変異を起こしても他方が活性化して代替機能を果たし、発症が抑制されるというメカニズムになっている、と。
必定、X染色体の予備を持たない男性は発症が多くなるという訳だ。

X染色体は、人類の進化をも解き明かすだろうと云われる。
X染色体とY染色体は3億年前に一対の常染色体から進化したことが明らかとなり、
この染色体の遺伝子コードの解明は、人類の歴史にまつわる物語さえも語る、と。

ゲノム配列解析の道は、まだまだ続く。


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