忍び妻帰らむあともしるからし‥‥

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−今日の独言− 今年の三冊、私の場合−1

 昨日触れたのはあくまで今年発刊された書から書評氏が挙げたものだが、今日は私が今年読んだ書からこれという三冊を挙げてみる。
先ずは、塚本邦雄「定家百首−良夜爛漫」−ゆまに書房刊「塚本邦雄全集第14巻」集中。
これについては先日12月8日付にてもほんの少し言及したが、本書中で定家の恋歌について塚本は「見ぬ恋、会わぬ恋、遂げぬ恋を、しかも逆転の位置で歎くという屈折を極めた発想こそ、彼の恋歌、絵空事の愛欲の神髄であった。恋即怨、愛即歎の因果律を彼ほど執拗に、しかも迫真性をもって歌い得た歌人は他にはいない。虚構の恋に身を灼く以前に、日常の情事に耽溺していた多くの貴族には、この渇望と嫌悪の底籠る異様な作が成しえるはずはない。彼の虚の愛のすさまじさは、西行の実めかした恋の述懐調の臭味を睥睨する」と述べ、より美しい虚、より真実である虚構の存在に賭ける定家を見つめている。短歌は幻想する形式であるとして「定型幻視論」もこのような見解を基盤に見出しうるかと思われる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−14>
 忍び妻帰らむあともしるからし降らばなほ降れ東雲の雪  源頼政

源三位頼政集、冬、暁雪。長治元年(1104)−治承4年(1180)。摂津国渡辺(大阪市中央区)を本拠とした摂津源氏の武将。以仁王(後白河院第二皇子)の令旨により平氏打倒の兵を挙げるも、平知盛・重衡ら率いる六波羅の大軍との宇治川の合戦に敗れ平等院切腹して果てた。享年77歳。「平家物語」に鵺((ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話が記され、能楽に「鵺」、「頼政」の曲がある。
この歌、忍びつまを夫と見、後朝の別れに女の立場で詠んだと解すのが常道かと思われるが、邦雄氏は忍び妻を採る。東雲の−東の空まだ明けやらぬ頃の。
邦雄曰く、密会の跡の歴然たる足跡は、降りしきる雪が消してくれればよい。隠し妻のかわいい履物の印とはいえ、残ればあらわれて、人の口はうるさかろう。豪快な武者歌人の、やや優雅さに欠けた歌にも見えながら、歌の心には含羞が匂いたつ。命令形四句切れの破格な響きは、作者の人となりさえも一瞬匂ってくるようだ、と。


 竹の葉に霰降るなりさらさらにひとりは寝べき心地こそせね  和泉式部

詞花集、恋。詞書に、頼めたる男を今や今やと待ちけるに、前なる竹の葉に霰の降りかかりけるを聞きて詠める、と。
霰−あられ。さらさらに−竹の葉の擬音語であるとともに、決しての意を兼ねた掛詞。
邦雄曰く、霙−みぞれでは湿りがちになり、雪では情趣が深すぎて、霰以外は考えられぬ味であろう。待恋のまま夜が明けても、寂しく笑って済ませるのが霰の持つ雰囲気か、と。


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