かきやりしその黒髪の筋ごとに‥‥

N-040828-044-1

−今日の独言− そごう劇場

 今月初めからか心斎橋そごうが新装なってオープンているが、14階の最上階には小さなホールとギャラリーを併設している。ホールのほうはその名もそごう劇場。昨夜は奥村旭翠とびわの会による「琵琶で語る幽玄の世界」が催されていたので久し振りに小屋へと足を運んできた。定席270席ほどの小ぶりで手頃なものだが、ロビーの居場所のなさには些か閉口。舞台環境も奥行きに乏しく、照明は前明りばかりで、これではとても当世の演劇向け小屋にはほど遠かろう。映画の上映会や小講演、和事のおさらい会や、ちょっとしたレビューもどきならなんとかこなせるだろうが、それ以上のことは望めそうもない。当夜の演目では、劇場付とおぼしき音響スタッフの未熟さが目立った。琵琶の語りと演奏をマイクで拾うのいいが、耳障りなほどのヴォリュームにあげていた。影マイクのナレーションにしてもやはりそうだったから、これは設備の問題以前だろう。語り物や和事の演奏ものは、この程度の小屋ならナマのままでも十分よく聴こえる空間だが、それでも音響機器を通す場合はあくまで音場のバランスをとるのが主要な役割であって、極力ナマの感覚を再現することに腐心すべきところを、いかにも音響空間化させてしまっているのは、スタッフの初歩的な舞台常識のなさ、見識のなさの露呈にすぎない。だが、こういった一見瑣末にみえることにも、どうやらまともな劇場プロデューサーの不在が表れている、と私には思われた。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−6>
 かれねただ思ひ入野の草の名よいつしか袖の色に出るとも  足利義尚

常徳院詠、文明16年10月、打聞のところにて、寄草恋。
寛正6年(1465)−長享3年(1489)。常徳院は号。足利8代将軍義政の子、母は日野富子。将軍後継をめぐる争いから細川・山名の有力守護大名の勢力争いを巻き込み、応仁の乱の引き金となった不幸な存在である。一条兼良に歌道を学び、文武両道に優れたといわれるも、24歳で早世。
入野(いるの)−歌枕だが山城の国や近江の国のほか諸説ある。
邦雄曰く、草は「枯れね」人は「離(か)れね」、袖の色はすなわち袖の気色、涙に色変るばかりの袖であろう。今は諦めるほかはない。入野は諸国にあるが、流人の地、それも尊良親王ゆかりの土佐の入野を想定すれば、悲しみは翳りを加えよう、と。


 かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞたつ  藤原定家

新古今集、恋、題知らず。
拾遺集和泉式部詠「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」の本歌取りとされる。
邦雄曰く、定家の作は「かきやりし」男の、女への官能的な記憶だ。「うち臥す」のは彼自身で、逢わぬ夜の孤独な床での、こみあげる欲望の巧みな表現といえようか。「その黒髪の筋ごとに」とは、よくぞ視たと、拍手でも送りたいくらい見事な修辞である、と。


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