えびすこそもののあはれは知ると聞け‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−


−今日の独言− 「百句燦燦」

 家に幼い子どもがいる所為もあるのだろうが、読書がなかなか思うように運ばない。図書館からの借本、講談社版の「日本の歴史」二巻を走り読みして、期限いっぱいの今日返却した。「古代天皇制を考える−08巻」のほうはまだしも通読したものの、「日本はどこへ行くのか−25巻」は走り読みというより飛ばし読みというのが相応しいか。
 そしてやっと塚本邦雄全集第15巻−評論Ⅷの扉を開いたのだが、のっけから襟を正して向き合わざるを得ない気分にさせられた。
 本書の構成は「百句燦燦」「雪月花」「珠玉百歌仙」の三部立て。戦後現代俳句に綺羅星の名句を百選して評する曰く「現代俳諧頌」。新古今の代表三歌人、藤原良経・藤原家隆藤原定家の歌各百首を選び、そのうち各五十首に翻案詩歌を付しつつ評釈する「雪月花」。斉明天皇より森鴎外まで1300年の広大な歌の森から選びぬいた112名300余首を鑑賞する詞華アンソロジー「珠玉百歌仙」。
 「百句燦燦」の冒頭に掲げられた句は
   金雀枝(エニシダ)や基督(キリスト)に抱かると思へ  石田波郷
 抱かれるのが厩の嬰児イエスであれ十字架下ピエタのイエスであれ、抱く者はつねに聖母マリアであった。この作品の不可解な魅力はまず抱かれる者の位相の倒錯と抱く者の遁走消滅に由縁する。とこの言葉の錬金術師は紡いでゆく。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−6> 
 みちのくの金をば恋ひてほる間なく妹がなまりの忘られぬかな  源頼政

従三位頼政卿集、恋、恋遠所人、法住寺殿の会にて。
邦雄曰く、奇想抜群、天外とまでいかないが、鄙びて新鮮で、俗にわたる寸前を詩歌に変えているところ、頼政の野生的風貌横溢。妹が訛りと鉛を懸け、黄金と対比させ、しかもその訛りが奥州に置いてきた愛人のものであることを暗示し、「ほる=欲る=掘る」の懸かり具合もほほえましい。平泉が産出する金で輝きわたっていた時代であることも背景のなか、と。


 えびすこそもののあはれは知ると聞けいざみちのくの奥へ行かなむ  慈円

拾玉集、述懐百首。
邦雄曰く、初句は京童を含む同胞一般への愛想尽かしの意を隠しており、ずいぶん皮肉で大胆な「出日本記」前奏と考えてよかろう。この述懐百首、若書きであるが、出家までの私的世界をも踏まえた、鬱屈と憤怒の底籠る独特の調べが見られる。「仕へつる神はいかにか思ふべきよその人目はさもあらばあれ」など、苦み辛みもしたたかに秘めた作が夥しい、と。


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