今は咲け深山がくれの遅桜‥‥

Uvs0504200971

Information<Shihohkan Dance-Café>

−今日の独言− 金子みすず

 眼下に見える桜、真向かいの小学校の正門横にそれはあるのだが、その桜も昨日今日と一気に葉桜に変わりつつある。花の見頃は雨にも祟られて駆け抜けてしまったようだ。
 昨日といえば、1903(明治36)年の4月11日は、薄幸の童謡詩人として復活ブームとなった金子みすずが誕生している。いとけない幼な児を遺して自死したのは30(昭和5)年3月10日、満27歳を迎えずしての短い生涯だったが、その薄幸の人生が哀しみを湛えた無垢の詩魂と相俟って、またたくまに国民的詩人ともいうべき地位を獲得した。今ではみすずの詩は、小学校の国語ではどの教科書にも必ず載っているというほどにポヒュラーな存在である。三年前の生誕100周年には故郷長門市仙崎にみすず記念館が設立、二年余で40万人が訪れるという活況ぶりだ。青海島に対面して日本海に小指を突き出したような小さな岬の町並みの一角がみすず通りと名付けられ、そのエキゾチズムが全国からみすずファンを惹きつけてやまないらしい。

  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのやうに、
  夜がくるまで沈んでる、
  晝のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。
             ――― 金子みすず「星とたんぽぽ」より


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春−45>
 今は咲け深山がくれの遅桜思ひ忘れて春を過ぐすな  源経信

大納言経信卿集、春、深山遅桜。
邦雄曰く、命令形初句切れ、禁止の結句という珍しい文体、はずむような急調子、春の歌としては例のない印象的な一首。詩・歌・管弦三船の才は、半世紀前の藤原公任と並び賞された、と。


 咲けば散る咲かねば恋し山桜おもひ絶えせぬ花のうへかな  中務

拾遺集、春、子にまかりおくれて侍りける頃、東山にこもりて。
延喜12(912)年頃?−正暦2(991)年頃?、宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢の子。藤原実頼・師輔らとの恋多きを経て、源信明と結婚したとされる。紀貫之・源順・清原元輔歌人と交流、各界歌合や屏風歌に活躍、後撰集時代の代表的女流歌人後撰集初出、勅撰入集66首。
詞書にあるように、子に先立たれた頃、東山の寺に籠って詠んだ歌である。
邦雄曰く、逆縁の母の歎きを、花に譬えて歌ったもので、哀傷歌の趣きも加わるが、人事に重ねてしまわず、詞書にさりげなく謳って、歌はただ桜への思いとしているところが心憎い。母・伊勢譲りの歌才抜群、と。


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