ゐても恋ひ臥しても恋ふるかひもなみ‥‥

Mainichi0609241

Information−Shihohkan Dace-Café−


−世間虚仮− 紙面トップに「求む住職」

イヤハヤ、今朝の毎日新聞の紙面トップには驚かされた。
記事はご覧のとおり、禅僧の求人?
僧侶の後継者難に業を煮やした臨済宗妙心寺派が、従前必須の修業期間を格段にコンパクトに改め、ハードルを低くしてひろく人材を集めたいと、大胆な制度改革に打って出ようというもの。
臨済宗最大宗派を誇る妙心寺派は全国に末寺3400を有するが、住職のいないいわゆる無住寺が900にも及び、また、寺の住職資格を得る修行過程にある僧らには、教師や公務員などの兼職者も多く、近頃は民間企業の営業マンと兼職するケースも増えており、厳しい従来制度ではとても住職が育たず、このままでは無住寺ばかりが増え先細る一方というわけだ。
妙心寺派にかぎらず、寺の住職不足や後継者難は今に始まったことではなく、もう長年、どの宗派でも決め手に欠け、イタチごっこの如く対策に苦慮してきていることだろう。


この話題、バブル崩壊以降の十数年、改革の嵐が荒れ狂うこの国の世相を映して、厳しい修行もってなる禅僧の世界にまで<改革>の風が吹き、大幅な<緩和>策が採られるというその構図に、改革と規制緩和ばかりで格差社会を増幅させてきた小泉政治の、まさに幕を閉じようとしているこの時、時代を映す鏡としてのニュース性があるとして紙面トップを飾ることになったのだろうが、そのアイロニーたっぷりな紙面づくりへの評価は分かれるとしても、意表を衝いたものではある。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−49>
 ゐても恋ひ臥しても恋ふるかひもなみ影あさましく見ゆる山の井  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、恋。
邦雄曰く、沓冠同音歌の「ゐ」、恋い祈ればその面影が水鏡に顕つという山の井にもいっかな映らぬ君、身を揉むような訴えは、言語遊戯の産物とは思えぬほど情が通っている。四十八首、趣向さまざま、「恋」にはまた「猟師にもあらぬわれこそ逢ふことを照射(トモシ)の松の燃え焦れぬれ」等、技巧を盡した歌を見る。これは天地を「れ」で揃えた歌。機知縦横の才人、と。


 面影は見し夜のままのうつつにて契りは絶ゆる夢の浮橋  後崇光院

抄玉和歌集、永享四年二月八幡社参して心経一巻書写してその奥に、絶恋。
邦雄曰く、その夜以来、人の面影は鮮やかに心に焼きついて、いつでも現実そのままに蘇るが、逢瀬はふっつりと途絶えて、夢の浮橋さながら消え果てた。複雑な恋愛心理の一端を、含みの多い暈(ボカ)しの手法で連綿と綴った。「形見とて見るも涙の玉匣(クシゲ)明くる別れの有明の月」は、翌年9月の「寄匣恋」。「夢の浮橋」とともに、家集恋歌群中の白眉であろう、と。


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