轍ふかく山の中から売りに出る

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Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

  轍ふかく山の中から売りに出る

山頭火、昭和9(1934)年2月初旬の句。
故郷近く小郡に結んだ其中庵の暮しも2度目の新春を迎えてまもなくだ。
庵の近くを歩いた際に見かけたか、雪も積っていよう山深い里から重い籠を背負って、なにを売りに来たのであろうか。自身乞い歩く身であれば、声をかけ品定めをするはずもない。遠目にやり過ごしつつふと口をついたか。
2月4日の日記に
「村から村へ、家から家へ、一握の米をいたゞき、
 いたゞくほどに、鉢の子はいつぱいになった」
と記し、また翌5日には、
「米桶に米があり、炭籠に炭があるということは、どんなに有難いことであるか、
 米のない日、炭のない日を体験しない人には、とうてい解るまい。」
「徹夜読書、教へられる事が多かった」
とも書きつけている。


−温故一葉− 大深忠延さんへ

 寒中お見舞い申し上げます。
お年賀拝受。私儀、甚だ勝手ながら本年よりハガキでの年詞の挨拶を止めましたので、悪しからずご容赦願います。
大寒の列島は低気圧の発達で北日本一帯大荒れになる模様とか、大阪市内では今年もまだ雪を見ませんが、このところの冷え込みは、夏場生まれの所為でしょうか、恥ずかしながら私などには些か身に堪えます。

平成の代もはや20年。昭和天皇薨去し、当時の小渕官房長官が「平成」と書かれた紙を持って新元号を発表した記者会見に、「バブル景気」というまことにおぞましい言葉が生まれてまだまもなくの波乱含みの世相を背景にしながら、「平らか成る」などといかにも日和見めいた言辞を弄するセンスに強い違和を感じ、この元号にずっと馴染めぬまま年月ばかりが過ぎていきます。

実際のところ、私の感覚において、昭和と西暦はいつでも直感的に代置可能で、折々の出来事もその年号とともに記憶のアルバムに鮮明に残っているというのに、平成になってからは西暦とどうにも相生悪く添いきれぬまま、はて木津信の破綻から何年経ったか、あれは平成なら何年、西暦なら?と混濁ばかりが先立ち、挙げ句は資料などを引っ張り出さねばならない始末です。
そんな訳でこれを認めつつも、「金融神話が崩壊した日」を書棚からわざわざ引っ張り出してきましたよ、お笑い草ですね。

龍谷大学の「正木文庫」にずっと関わってこられ、正木ひろし研究もライフワークのひとつとか。
映画「真昼の暗黒」となった八海事件は冤罪事件としてよく知られるところですが、事件そのものは昭和26(1951)年1月、二度の最高裁差し戻しを経て、判決の確定を見たのが昭和43(68)年、今井正監督が映画化したのが昭和31(56)年でしたか。

もう昔も昔、古い話になりますが、この大阪で「八海事件」を採り上げ、「狐狩り」という創作劇に仕立てて上演したグループ(劇団)がありました。大阪はもう今はない大手前会館と京都は岡崎の京都会館第2ホールと、2回だけの公演でしたが、実は私もこれに参加していたのです。今から45年前の昭和38(63)年のことでした。私は高校を出たばかりの大学1年、まだ19歳になったばかりでしたが、所謂学内ばかりの発表形態ではなく、私にとっては一応本格的な舞台づくりの最初の一歩、それがこの作品だったのです。

と、正木ひろしの名に誘われて、とんでもない昔の私事を記してしまいましたが、ご容赦下さい。
お礼が末尾になってしまいましたが、お仕事柄なにかと忙殺の日々でありましょうほどに、昨年の会にもわざわざお運びいただき、ありがとうございました。
またお逢いできる日もありましょう、益々のご活躍を念じつつ。
  08 戊子 大寒  −林田鉄 拝


書信の相手、大深忠延さんはベテランの弁護士、私よりは何歳か年長の筈。
バブル崩壊のあと金融機関の破綻が吹き荒れた90年代、阪神・淡路大震災の傷跡なお生々しく残る平成7(95)年8月末、木津信用組合兵庫銀行が相次いで破綻、定期預金と見紛う抵当証券被害が白日のものとなって騒動となった。その「木津信抵当証券被害者の会」弁護団の団長を務めた人。

この事件が結ぶ縁で、1400名近くの被害者原告団でよく動いた人々と、30数名を擁した弁護団の人々と、平成9(97)年の大阪高裁による和解調停の第一次解決を経て、平成14(02)年の最終解決をみるまで、一連の活動を通して親しく交わらせていただいたことは、私自身が河原者にひとしく浮世離れの生涯ともいうべき身上であってみれば、まるで正反の、俗といえばこれほど俗な、泥にまみれた社会闘争ともいうべき世界に自身投入した数年間の体験として、まことに愉しく意義深いものがあった。

おかげで、人との交わりを大切にし、どこまでも義理堅い大深さんは、私がご案内する舞台に、なにかと都合をつけてわざわざ観に来てくださること幾たび、私にとっては望外の有難き人なのだ。


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