こがれ飛たましゐ花のかげに入

07120102

―世間虚仮― 子どもというものの激しさ

生活のリズム変化による子どもの体調管理というものはなかなか難しいものがある。
新一年生になって2週目に入ったK女がとうとう変調をきたしてしまった。

昨日の午後4時過ぎ学校から突然の電話、前日の水曜日から始まった「いきいき活動」の担当者からで、「熱はないが、お腹が痛いと云って、横になっている」とのことで、すぐ駆けつけてみると、なるほど朝出かけたままの制服姿のまま、ちょっぴり青ざめた表情で力なく横たわっていた。

「イキイキ活動」というのは大阪市が始めた学校内での放課後保育のことで、全市的に実施するようになったのは平成13年からだ。この施策には、すでに民間にひろまっていた学童保育への支援補助費がどんどん膨らんでいくことや、組織化された学童保育連絡会などが学校開放をめざした請願要求の盛りあがりへの対抗措置的な意味合いもあったのだろう。

このところ就寝につくとかならず軽いとはいえ喘息の発作も出ていたし、アトピーの湿疹もつねより増していた。保育園から小学校へと、環境と日常リズムの変化は、相当なストレスとなっているに違いないと思っていたが、それを上回っての旺盛なハリキリぶりが、起きている限りは快活で元気な振る舞いをさせていたのだろうか、どうやらそれが破綻をみせ、とうとう身体のほうが悲鳴をあげた、ということか。

とすると、新一年生になったという環境変化に対するK女の幼いなりの思い入れは、此方の想像をはるかに上回る強さだったとみえ、このところの彼女のハリキリぶりは、一種の躁状態を呈していたともいえそうなほどに、心身のバランスを欠いていたことになるが、幼い心理にそれほど激しい精神の運動があるなどと気づきもしなかった此方が迂闊だった。

なるほど、子どもの心身こそ、おとなたちの想像を超えて、激烈なものなのだ。だからこそ自身のコントロールも効かず、ここまで変調をきたしてしまうのだ。

報せをうけた母親も早々に帰ってきたので、雨降るなかを背負って、近くのかかりつけの医院へと歩いていった。折悪しく車を修理に出していたのでそんな羽目になったのだが‥。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」−35

   おもひかねつも夜の帯引  

  こがれ飛たましゐ花のかげに入  荷兮

飛-とぶ、入-いる

次男曰く、名残の花の定座である。帯引に負けた女は行灯消しに起つかわりにそのまま男の胸にとびこむ、と読取っていなければこういう付は出来ない。男二人の帯引では成立たぬというところが滑稽のみそで、甘えもくすぐりも可憐さも自家薬籠中のものとした付だが、座巡ecbed、挙句が芭蕉とあれば、荷兮には用意の作文がある筈だ。

伊勢に、吉野に、つい先頃西行の跡を尋ねてきたばかりの、風狂人を迎えての興行である。句はそのまま眼前のまろうどの姿でもある、とは誰の目にも瞭かだろう。
西行山家集、あくがるる心はさても山ざくら散りなん後ぞ身にかへりなむ。この歌を踏みて、前句の恋のをかしみを巧みに花に添へて作れるは、流石に荷兮力量ありといふべし」-露伴-。

晩年、「思ひ返すさとりや今日は無からまし花に染めおく色なかりせば」-御裳濯河自歌合、寛文七年の板本がある-と述懐するに到った西行の花数奇は、挙げればきりがない。一つを以て証とするわけにもゆかぬ。

「思ひに堪へ兼ねて魂もうはの空に吾が思ふあたりに飛び去りしを花にあこがるる情に取りしにて、こがれに恋を含めしつもりならむも、此の付意また妙とは謂ひ難く、何かと言ひ方ありさうに思はる。談林臭を呈びし付方なり」-樋口功-

「女を花に喩へた心はもとよりであるが、桜咲く春の夜の艶なさまも想はれて面白い」-穎原退蔵-、と。


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