伏見木幡の鐘はなをうつ

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―四方のたより― 一年の垢落し

昨日今日と、竹野海岸の民宿へと一年の垢落しとばかり蟹三昧に舌鼓の、一泊二日の小さな旅。

昼前に家を発って、帰省の渋滞もなく順調すぎるほどの走行に、途中ゆったりと休憩もはさんで、午後4時には目的の宿に着いた。
北前館の湯は、ぬるま湯好きのこの身には熱すぎて、温泉気分満喫とはほど遠く、ちょっぴり不満を残したが、宿での蟹三昧の晩餐は、2時間あまりもかけて、これ以上の満腹はなかろうというほどに堪能。部屋の戻って窓を開ければ、冷たい風が心地よく肌を刺す。

冬の日本海、それも波の音ばかりの黒々とした夜の海となると、束の間の小旅行といえど、一瞬のうちに底なしの旅情に誘われる。ふと、親父がこの世に生きた生の分だけ、いつのまにか私自身もまた、すでに生きてしまっていたのだ、と思い至る。

2008年の印象は、8月の信州方面への旅以降、9月から歳末にかけてのこの4ケ月にすべてが集約されているかのごとく感じられ、それ以前の出来事が遙か遠く薄靄のなかに霞んでしまっているかのよう。ことほど左様に、この4ヶ月に起こった出来事は、一つ一つはそれぞれ別事である筈なのに、縒り合さるようにして一塊の特別な重量感をもって、私の背後にへばりついているような、そんな感さえするのだ。

翌朝、帰路には廻り道となるが、余部鉄橋の下を通って、湯村温泉をめざした。7年前、生後6ヶ月くらいであったろうKAORUKOを抱いて3人で湯元の足湯に浸かったのが懐かしく想い出されて、再びの推参と相成ったのだった。

それからは、竹野行の帰りにはもう定番となった出石へと一目散だ。いつもの店でいつものように出石そばを食したあと、45年ぶりに復館なって今夏柿落しをしたという芝居小屋の永楽館を参観した。

出石から福知山へ、舞鶴自動車道には上がらず、国道9号線をひた走り、それから173号線へと走り継いで、阪神高速空港線へ。午後5時45分帰宅。


<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」−32

  元政の草の袂も破ぬべし  

   伏見木幡の鐘はなをうつ  荷兮

次男曰く、花の定座を引上げた心は元政に寄せた挨拶と見てよいが、じつは「冬の日」興行は第四の巻まで、4人の名古屋衆のうち野水・杜国・重五がそれぞれ二度の花を務めている。荷兮のみ一度だ-霽の巻-というところに、挙句前を殆どきまりとする名残花の座を野水が譲ったわけがある。

加えて、五歌仙の締括りの花が荷兮-正客、発句-という趣向は尤もだろう。一同この巻にきて急に気付いたわけでもなさそうだ。

伏見も木幡も上人ゆかりの深草に近く、句は、元政の開いた瑞光寺の鐘がここまで聞こえてきて折からの花を散らせる、と云っているのだろう。尤も、このあたり寺は多い。どこかの寺鐘を瑞光寺のそれと、と連想したと考えてもよい。

天和・貞享頃と推定される芭蕉の句に、「鐘消て花の香は撞く夕哉」。荷兮の「鐘はなをうつ」は、「草の袂も破ぬべし」のうつりと読めば、この蕉句までゆきつく。そう解釈してよいだろう、と。


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