加茂のやしろは能き社なり

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―世間虚仮― 騒ぎの陰で‥

一週間のインフル休校だけでも留守居役にはかなりの心身負担で災厄このうえないが、このたびはどうしたことか、小2になってもなお小児性アレルギーや小児喘息から脱皮-?-できないでいる我が娘KAORUKO、このところたしかに呼吸器に危険な徴候が見えていたので、かかりつけの医院にも通い、もちろん投薬もしていたのだが、とうとう昨日などは深夜におよんでから救急診療所に駆けつける仕儀となってしまった。

ところが診察の順を待つあいだに、出かける少し前に飲んでいた薬が効いてきたか、咳込みも小康状態を示すようになっていたから、吸入だけの軽い処置でよかろうと、わざわざ出かけたものの、泰山鳴動云々の如き、少々拍子抜けのご帰還となった。

これで快復に向かうかと思えばなんのことはない、今朝も起き出してからイヤな咳をしてござるし不調を訴えてやまぬ。昨日も行ったかかりつけ医にまたも推参すれば、こんどは吸入ばかりかとうとう点滴まで施される始末で、帰宅した午後からはようやく落ち着いてきているが、まだ時折は咳をしているといったところ。

一般に、アレルギー性小児喘息などはストレスもまた増悪要因となる、といわれる。もちろん気象の変化や大気汚染も関わろうし、さまざまの複合的要因で発症し、悪化もするのだろう。

このKAORUKOのように、それほど重いとも思えぬ子どもですら、外遊びを禁じられた一週間のインフル休校がもたらすであろうストレスは、大人の私などには計りがたいが、かなりのものなのかもしれぬ。

休校になってからの4日間、我が娘の体調変化を見てきて思うのは、彼女なんかよりずっと重症の同じ病をもつ子どもらとその親たちは、けっしてひとしなみにというのではなくcase-by-caseであろうが、いったいどんな辛い目に遭っていることか。



<連句の世界−安東次男「風狂始末−芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」−30

  堤より田の青やぎていさぎよき  

   加茂のやしろは能き社なり  芭蕉

次男曰く、堤とくらべて田の青やぎがふさわしく、かつ潔く見えるのは、とりわけ賀茂神社あたりの眺めだと応じている。賀茂神社は上下二つを合せて呼ぶが、上社の祭神賀茂別雷命は水を司る稲の神である。「加茂のやしろ」は上賀茂社と見てよい。

眺めだけではなく句振りもまた潔く、踏込んで付けている。一意、和家風の仕立で、季が前にあればむろんここは雑躰に作る。当時は葵祭-陰暦4月の中の酉-が応仁以来久しく中絶のままだったから-元禄8年再興-、芭蕉には、いっそう賀茂神社の佇まいが気になった、ということがあったかもしれぬ。

「御手洗詣での道を付たり。かもの社はいつ詣つてもよき社なりとは、西加茂上野辺の人の糾詣ですとて、物陰なきかも堤行かむよりもと左へ取つて、上加茂通り下るとて青田に目を養ひ下加茂に詣づればはや深林の涼風にみそぎする心地し、未だ河合の社-下賀茂社-へ至らざるに水無月の暑さを爰に忘るる様也」-婆心録。この曲斎の考は一解である、と。

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