つきあたつてまがれば風

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月17日の稿に
11月17日、晴、行程1里、宇ノ島、太田屋

朝酒は勿躰ないと思つたけれど、見た以上は飲まずにはゐられない私である、ほろほろ酔うてお暇する、いつまたあはれるか、それはわからない、けふここで顔と顔を合せてる−人生はこれだけだ、これだけでよろしい、これだけ以上になつては困る。‥

情のこもつた別れの言葉をあとにして、すたすた歩く、とても行乞なんか出来るものぢやない、1里歩いて宇ノ島、教へられてゐた宿へ泊る、何しろ淋しくてならないので濁酒を二三杯ひつかける、そして休んだ、かういふ場合には酔うて寝る外ないのだから。-略-

友人からのたより−昧々居で受け取つたもの−をまた、くりかへしくりかへし読んだ、そして人間、友、心といふものにうたれた。-略-

※表題句の外、4句を記す
その中に、「別れてきた道がまつすぐ」の句が見える

―世間虚仮― 芸術性か社会貢献か

橋下府知事が大鉈を振るった文化事業への補助金削減で、存続の危機に晒されてきた大阪センチュリー交響楽団が、知事との最終的な折衝もすれ違ったまま、民営化へと歩まざるを得なくなり、スポンサー探しに乗り出すことになった模様だ。

対立点ははっきりしている、芸術性か社会貢献か。知事側の主張は簡単明瞭、府の文化事業ならば、コンサートホールでの演奏活動よりも学校や病院を訪問して鑑賞会を行うなどの直接サービスを最優先させろ、と曰っているそうな。

センチュリー側としては、20年前の成立経緯からも、また20年の活動の積み重ねのなかで成熟させてきた音楽性を真っ向から否定するかの如き知事の要請を飲むわけにはいくまい。社会貢献の活動を否定しさるものではないが、芸術性あっての社会貢献、主従の別はおのずから決まってこよう。

現状では、センチュリーの年間予算は7億1千万円、H20年度の補助金は3億9千万だったが、H21年には1億1千万に減額されており、このままでは存続し得ないことは一目瞭然、スポンサーを府から民へと乗り換えざるを得ないわけだが、川の流れに身を任せる笹の葉同然、覚束ないことこのうえない仕儀となってしまった。

捨てる神あれば拾う神あり、
以前から大阪府に遺贈の申し出をしていた芦屋在住の老婦人、今年6月に亡くなっているが、生前音楽愛好家だった彼女の遺志は、府の楽団への寄付であったということで、この10月末にもセンチュリーへの贈与が手続きされる運びだ、と。

だが、奇特な浄財でたとえ一時はしのいだとしても、府に替わるスポンサーが現れないことにはたちまち存続不能となる。企業スポーツ崩壊の昨今でもある。はたして企業スポンサーなど、救いの手は伸びるものかどうか‥。

なんだか、橋下府政への呪詛の呻きが聞こえてきそうな、そんな一件だ。

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