大地あたゝかに草枯れてゐる

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月25日の稿に
12月25日、晴、引越か家移か、とにかくここへ、春竹へ。

緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからここへ移つて来ることが出来た。‥
だんだん私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。

※表題句の外、2句を記す

−今月-11月-の購入本―
とうとう月を遅れての記載となってしまった。
読書の記録を「Book Diary」と題し、Excelに残すようになってちょうど5年、その間、490册を読んだことになるが、年平均に換算すれば100册に満たない。
買い置いたものの未だ読めぬまま積まれたものも、ずいぶんと嵩高くなったものだ。
そろそろ老い先を数えて生きる日々ならば、これから先、多きを求めても致し方あるまい。ゆったりと愉しむ三昧の境地になりたいものだ。

西垣通「続 基礎情報学-「生命的組織」のために」NTT出版
情報−その本質は生命による「意味作用」であり、意味を表す記号同士の論理的関係や、メディアによる伝達作用はむしろ派生物にすぎない。言葉の意味はいかにして私の心から他者の心へ伝えられるか。意味内容が他者間をまるごとそっくり移動するなどほんとうに可能なのか。社会的コミュニケーションはいったいなぜ可能なのか。著者はHACS-階層的自律コミュニケーションシステム-に基づいて、「情報」そのものを根底から問い直すことから出発する。生命が、閉鎖的かつ自律的な「システム」であるとしてとらえ、その上で生命の「意味作用」を「情報」であると再認識した上で、生命/心/社会をめぐる情報現象を、統一的なシステム・モデルによって論じようとする。

廣松渉「事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相」ちくま学芸文庫
近代的世界像の抜本的な再検討とそれに代わるべき新しい世界観の構築が哲学の課題となってすでに久しい。本書はそれに応えるべく著された、近代的な世界了解の地平の、全面的な超克を目指した壮大な哲学的営為といえよう。まず、カント、マッハ、フッサールハイデッガーの哲学的核心部分を鋭く抉り出し、新しい世界観のための構図と枠組を示す。さらに近代科学的自然像がいかなる変貌を遂げてきたかを追認しつつ、相対性理論量子力学の提起した認識論的=存在論的な問題次元を対自化し、「物的世界像から事的世界観」への推転を基礎づけた廣松哲学の代表的著作。勁草書房1975年刊を底本とした文庫版。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」2009/11月号、高橋悠治の「プレイズバッハ」とジムノペディの「サティ-ピアノ作品集」のCD2枚。

―図書館からの借本―

・大井玄「痴呆の哲学」弘文堂
副題に「ぼけるのが怖い人のために」とある。世界には老人の痴呆を当たり前のこととして受け入れる文化と、忌避する文化がある。人の「人格」は変化し続ける、人格の形成過程も完成期も崩壊過程-痴呆-もすべて「私」なのだ、他との関係性の中にのみ「私」は存在しているのだ。瞑想とは、意識から言葉を消す方法であり、座禅では、呼吸を意識し、空気と身体のつながりを感じ、自他の分離を消去すると、自己も消える。
著者は、「私はいのちを持つ」や「私は生きている」は間違っているとする。いのちが人格を選択するのだ、「いのちが私をする」あるいは「いのちがあなたとして現れている」が適切だという。生命が環境に適応するために生まれたのが精神なのだ、と。

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