ひかせてうたってゐる

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−世間虚仮− 水了軒の倒産

夕刊に、駅弁の水了軒-破産申し立て、の小さな記事。

明治21-1888-年創業というから、120年余の老舗企業だが、長期不況に加え、直近の1000円高速料の影響下で、とうとう倒産の仕儀にいたったという。ピーク時の'92年には売上高46億円を記録するも、バブル崩壊から下降線となり、'02年以降ずっと赤字が続いていたらしいが、負債総額3億3000万と意外に少額なのは、どうやら昨年のうちに不動産管理部門を別会社に譲渡していたからか、この時点ですでに倒産も秒読みになっていたと思われる。従業員90人、その家族を含めればけっして少なくない人々が路頭にまようことになるのだ。

帝国データバンクによれば、3月の企業倒産は1148件で7ヵ月連続の前年同月比減少というが、前年3月は1216件で同月比5.6%減とほんの微減に過ぎない。まだまだつづく深刻な不況、微かな明かりさえ見えない。


−表象の森− 清代諸家-古代への憧憬
石川九楊編「書の宇宙-22」より

・無限微動筆蝕と篆隷筆文字の発明
金農の時代に確立した新書法-無限折法=無限微動筆蝕-、それはどの瞬間でも小刻みに微動しており、小刻みに微動しているがゆえにいつでも停止しているともいえる運動で、いついかなる時でも、いかなる力-速度と深度と角度-で、いかなる方向へ進むことが可能になった書法であり、俄然書を面白くすることになった。それまでの三折法や多折法という折法によって必然的に限定づけられた構成と字形を解体し、一気に構成の幅を広げ、従来にない字形をもたらしたのである。

さらには、この無限微分折法=無限微動筆蝕によって、元来石や金属に彫ったり鋳込んだりするための書体として完成した隷書や篆書や金文を、毛筆によって再現的に書くことも可能になった。
たとえば訒石如の「行書五言聯」に見られるスケールの大きな無限折法・無限微動筆蝕は秦漢代の篆書や隷書の姿を借りて出現し、篆書や隷書を、従来のような形だけの篆書や隷書ではなく、雄渾な確たる筆蝕を伴った筆書きの書体へとつくり変えた。換言すれば、訒石如は毛筆書きの篆書体や隷書体を、いわば発明したのである。

・訒石如「朱韓山座右銘」-1799年
書線が細く、きわめて厳密、厳格、整然、端正に篆書体が書かれている。その緊張感には凄みまで感じられるのは、筆蝕の露出が極限まで抑制されているからだ。

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/萬緑陰中。小亭避暑。/八闥洞開。几簞皆緑。
/雨過蝉聲。風來華氣。/令人自醉。

・訒石如「行書五言聯」
筆蝕の無限微動を、波状のうねりの筆蝕として直截に露出させた書。一度眼にすると、忘れられない強烈な印象を残す書である。
波状にうねる筆蝕が紙面一杯に動きまわり塗り潰す。書かれた文字-文-よりも、表現された筆蝕-書-が第一義的であることは、紙幅に従って大きく、長く、もはや文字というよりも何かの図を描き出したような<龍>や<鶴>から明らか。

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/海爲龍世界。/天是鶴家郷。


―山頭火の一句― 行乞記再び -37-
1月29日、曇后晴、行程3里、武雄、油屋

朝から飲んで、その勢で山越えする、呼吸がはずんで一しほ山気を感じた。
千枚漬けはおいしかつた-この町のうどんやで柚味噌がおいしかつたやうに-。
解秋和尚から眼薬をさしてもらった-此寺へは随分変り種がやつてくるさうな、私もその一人だらうか、私としては、また寺としても、ふさはしいだらう-。

この寺は和泉式部の出生地、古びた一幅を見せてもらつた-蛾山和尚の達磨の一幅はよかつた-。
故郷に帰る衣の色くちて
    錦のうらやきしまなるらん
500年忌供養の五輪石塔が庭内にある。
井特の幽霊の絵も見せてもらつた、それは憎い怨めしい幽霊ではなくて、おお可愛の幽霊−母性愛を表徴したものださうな。

ここの湯−二銭湯−はきたなくて嫌だつたが、西方に峙えてある城山−それは今にも倒れさうな低い、繁つた山だ−はわるくない。

うどん、さけ、しやみせん、おしろい、等々、さすがに湯町らしい気分がないでもないが、とにかく不景気。

※表題句の外、句作なし

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Photo/飯盛山福泉寺への石畳

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Photo/福泉寺山門

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Photo/山頭火の記念碑

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Photo/現存する武雄の旅館油屋

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