<鏡の魔術>−2011.07.09記

「壁の間に影は重く沈む/そしてわたしはわたしの鏡のうちへと降りる
 /死者がその開かれた墓へと降り行くように」−ポール・エリュアール
「鏡の中に/わたしは見る/夢を鏡の中の夢を夢見る/やさしい男を」−E.E.カミングズ

表現主義・超現実主義芸術にあっては、
反映するものと反映されるもの、映像と歪曲―鏡映の類は枚挙にいとまがない。
鏡の隠喩-メタフオー-は、古代以来、文学にはしばしば見受けられる。
とりわけヘレニズムと中世期に愛好された。
盛期ルネツサンス以後、「マニエリスム」において、
この隠喩は、不安、死、時間のモテイーフと同様に、殆どひとつの幻覚とまでなる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ は、ローマ滞在中、八角形の鏡の間を構築しようとした。
視覚の迷宮である。

パルミジャニーノ-Parmigianino-こと、フランチェスコ・マッツォーラというパルマ生まれの男が、
1523年、凸面鏡を前にして、一幅の奇怪な自画像を描いた。
  −Photo「凸面鏡の自画像」
仮面美を思わせる少年の貌は、なめらかで測り難く、謎めいている。
表面の分解を通じて、それはほとんど抽象的な印象をさえ喚起する。
凸面鏡による遠近法の歪曲の中で、画面の前景を、
一個の巨人症的な、解剖学的にはもとより不可解な手が占めている。
部屋は眩暈を起こさせるような痙攣的な動きの中に展開する。
窓はそのごく一部分だけが、わずかに、やはり歪んだ形で見えていて、
それが弧状の長辺三角形を形づくっており、光と影がそこに異様な徴を、
驚異を喚び起こす象形文様−ヒェログリフを生みなしているように見える。
このメダル状の形をした画面は、機略縦横の才智を生む定式の解説図の用をなしている。
それは、当時の概念を援用していうなら、
才気煥発の綺想体−Concetto、すなわち視覚的形態における鋭敏な先端絵画である。

時あたかも、マニエリスムの名をかちえた、新しい、一世を風靡する様式、その初頭にあたっていた。
以来150年間、この先端芸術は、ローマからアムステルダムに到るまで、
マドリードからブラハに到るまで、時代の精神的社会的生活を決定することになったのである。

マニエリスムはヨーロッパ文学のひとつの常数」
また「あらゆる時期の古典主義への相補現象である」−E.R.クルティウス

古代より<五つのマニエリスム的時代>があった。
・アレクサンドレイア期/BC350―BC150頃
・ローマの白銀ラテン時代/AD14―138頃
・中世初期、とりわけ中世末期/1520―1650に及ぶ「意識的な」マニエリスム時代
・ロマン派運動期-1800―1830
・そして現代直近の1880―1950の時代
これらの時代、そのマニエリスム形式は、いずれもはじめは「擬古典主義」に捕らわれているが、
やがてその表現衝動を強化していく。
それは「表現的」になり、ついには「歪曲的」「超現実的」「抽象的」になっていく。
―G.R.ホッケ「迷宮としての世界−上」岩波文庫より

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