仕立てを嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり

風姿花伝にまねぶ−<11>


物学(ものまね)条々−女


 およそ、女懸かり、若き為手の嗜みに似合ふ事なり。さりながら、これ一大事也。
 先、仕立見苦しければ、更に見所なし。
 女御・更衣など似事は、輙(たやす)く其御振舞を見る事なければ、よくよく伺ふべし。
 衣・袴の着様、すべて私ならず。尋ぬべし。−(略)−
 舞・白拍子、又は物狂などの女懸かり、扇にてもあれ、挿頭(かざし)にてもあれ、いかにもいかにも弱々(よわよわ)と、持ち定めずして、持つべし。
 衣、袴などをも、長々と含みて、腰膝は直ぐに、身はたおやかなるべし。
 顔の持ち様、仰けば、見目悪く見ゆ。俯けば、後姿悪し。
 さて、首持を強く持てば、女に似ず。いかにもいかにも袖の長き物を着て、手先をも見すべからず。帯などをも、弱々とすべし。
 されば、仕立を嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり。
 いづれの物まねなりとも、仕立悪くてはよかるべきかなれども、殊更、女懸かり、仕立をもて本とす。

世阿弥は物学条々の第一に「女」の物まねを説く。
先ずは、徹底的に「仕立」つまりは「扮装」にこだわれ、という。
とりわけ、高貴の女人などについては、「すべて私ならず、尋ぬべし」である。
これは見かけだけの上でなく、きちんとした着衣や作法が演者の心に及ぼす働きを求めたものといえよう。
ただ、「舞・白拍子」以下、「帯などをも、弱々とすべし」と結ばれる段にて浮かび上がる仕立の姿は、現在の能楽における女のそれとは隔たりがあるのではないだろうか。
世阿弥の時代から今日までの600年の積重ねは、仕立の過剰を削りゝゝして、世阿弥が理想とした幽玄の美学へと結晶させてきた。

本文の急所は、「仕立を嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり」
懸かりとは、風情や情緒と受け止めればそう遠くはないだろう。

世阿弥晩年の能作の書「三道」において、
「女体の能姿、風体を飾りて書くべし。是、舞歌の本風たり」
さらに「女御・更衣・葵・夕顔・浮船」などを言挙げ、
「貴人の女体、気高き風姿の、世の常ならぬ懸り、装ひを、心得て書くべし」と述べ、
その「世の常ならぬ懸り」とは「たけたる懸りの、美しくて、幽玄無上の位、曲も妙声、振り・風情も此上はあるべからず」ものであり、
それらを代表するものとして「六条御息所の葵の上に憑き祟り」、「夕顔の上の物の怪に取られ」や「浮船の憑物」など、「源氏物語」の世界から材を取った曲をあげる。
幽玄の美としての女体風姿の極意は
「梅が香を桜の花に匂はせて、柳が枝に咲かせてしがな」というのだが、
写実の精神からは到底及ばぬ、意(こころ)付けの妙味に奥ゆかしき美を見出す精神は、蕉風俳諧にも受け継がれ、現代の文芸精神にも脈々と生きつづけているだろう。

 −参照「風姿花伝−古典を読む−」馬場あき子著、岩波現代文庫


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