ひよいと穴からとかげかよ

靖国問題




<古今東西> 





靖国問題を根源から問う>

中国や韓国から歴史認識問題や首相の靖国神社公式参拝で厳しくも激しい批判を浴びるなか、就任以来の高支持率も低落の一途をたどり今やただのガンコおやじに成り下がりつつある小泉首相は、なおも参拝の継続に意欲を滲ませている。
そんな時期にタイミングよく発刊(4/10付)され、朝日新聞毎日新聞の書評で採り上げられていたのが、
ちくま新書靖国問題」である。
本書を読了して「靖国」」のあまねく日本国民の心性への呪縛の深さがいやというほど思い知らされる。
著者高橋哲哉の専門は哲学、20世紀西欧哲学を研究し、政治・社会・歴史の諸問題を論究。最近、「NPO前夜」を共同代表として立上げ、季刊「前夜」(第1期1号〜3号既刊)において主筆的立場で健筆を奮っているようだ。
本書「靖国問題」をひもとけば、靖国神社とは如何なる存在か、その歴史的背景、日本国内を布置とした場合と東アジア全体を布置とした場合との差異など、「靖国」を具体的な歴史の場に置き直しつつ、その機能と役割を徹底的に明らかにした上で、著者流の哲学的論理で解決の地平を示そうとしている。
朝日書評で野口武彦氏は「ナショナリズムと国際感覚のはざまで考えあぐみ、正直なところ、戦死者を祀るのは自然だが、自分が祀られる事態は迎えたくないと感じているごく平均的な日本人が、各自と靖国とのスタンスをさぐるのに便利な一冊である」と。また毎日の書評子は「靖国問題がいかに感情的な問題かを述べたあと、著者は極めて論理的に、靖国がどのような装置であるかを明らかにしてくれる。難しい複雑な問題だ、と思われている靖国問題が、こんなにすっきりわかるのは不思議なくらいだ」と書くように、骨太な労作の書である。
本書を案内するには、冒頭の「はじめに」において本書構成の各章について著者が示してくれているのが役立つだろう。
以下引用する。

第一章の「感情の問題」では、靖国神社が「感情の錬金術」によって戦死の悲哀を幸福に転化していく装置にほかならないこと、戦死者の「追悼」ではなく「顕彰」こそがその本質的役割であること、などを論じる。
第二章の「歴史認識の問題」では、「A級戦犯分祀論はたとえそれが実現したとしても、中国や韓国との間の一種の政治的決着にしかならないこと、靖国神社に対すね歴史認識は戦争責任を超えて植民地主義の問題として捉えられるべきこと、などを論じる。
第三章の「宗教の問題」では、憲法上の政教分離問題の展開を踏まえた上で、靖国信仰と国家神道の確立に「神社非宗教」のカラクリがどのような役割を果たしたのかを検証し、靖国神社の非宗教化は不可能であること、特殊法人化は「神社非宗教」の復活にもつながる危険な道であること、などを論じる。
第四章の「文化の問題」では、江藤淳の文化論的靖国論を批判的に検証するとともに、文化論的靖国論一般の問題点を明らかにする。
第五章の「国立追悼施設の問題」では、靖国神社の代替施設として議論されている「無宗教の新国立追悼施設」のさまざまなタイプを検討する。不戦の誓いと戦争責任を明示する新追悼施設案はどのような問題を抱えているのか、千鳥ヶ淵戦没者墓苑や平和の礎をどう評価するか、などを論じる。

著者の反植民地主義思想は本書において徹底して貫かれている。

朝日新聞書評−2005.05.15付 評者:野口武彦
毎日新聞書評−2005.05.15
NPO「前夜」HP


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