源平などの名のある人の事を、花鳥風月に作り寄せて


    「In Nakahara Yoshirou Koten」


風姿花伝にまねぶ−<15>


<物学(ものまね)条々−修羅>


 これ又、一体の物なり。よくすれども、面白き所稀なり。さのみにはすまじき也。
 但、源平などの名のある人の事を、花鳥風月に作り寄せて、能よければ、何よりもまた面白し。
 是、殊に花やかなる所ありたし。これ体なる修羅の狂ひ、やゝもすれば、鬼の振舞になる也。
 又は、舞の手にもなる也。それも、曲舞懸りあらば、少し舞懸りの手遣ひ、よろしかるべし。
 弓・箭(やな)ぐひを携へて、打物をもて厳(かざり)とす。その持ち様・使ひ様を、よくよく伺ひて、その本意を働くべし。
 相構(かまえて)々、鬼の働き、又舞の手になる所を、用心すべし。


阿修羅-asura-、略して修羅は、六道説において、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に対し、修羅・人・天の三善道と配され、元来、善神を意味していたが、帝釈天などの登場とともに彼らの敵と見做されるようになり、常に彼らに戦いを挑む悪魔・鬼神の類へと墜とされてゆく。
ある仏説では、帝釈天宮に攻め上った阿修羅王が日月をつかみ、手で覆うことから日蝕・月蝕が発生するのだと説かれている。


修羅物とは、世阿弥の父観阿弥の頃より、「よくすれども、面白き所稀なり。さのみにはすまじき也」とあるように、曲は多彩を誇り、数々演じられるけれど、あまり評価は高くなかったようである。
しかし、世阿弥は、修羅物としての「軍体」の新しき創出を次々と世に送り出す。
それは、南北朝内乱の余波なお鎮まらぬ「太平記」的な背景からくる時代的要請であったろうし、
討死にという不覚の一瞬に凝固する、あり余る生への執着を残したまま冥界に去っていった死者たちの無念の思いへの関心は、多くの人々の共有するところ故であろう。
今日残されている修羅能の名曲には、世阿弥の作が多い。
世阿弥の発見は、「源平などの名のある人の事を、花鳥風月に作り寄せて、能よければ、何よりもまた面白し」によく顕れている。
世阿弥はのちに「三道」の中でも、軍体の能は「殊に殊に、平家の物語のまゝに書くべし」とまで言っている。
「忠度」「実盛」「頼政」「清経」「敦盛」などは世阿弥の自信作であったろう。
なかでも「忠度」を自ら「上花」(秀作の意)と評価しているあたり、世阿弥の自負のほどが覗える。


「これ体なる修羅の狂ひ‥‥」以下、
とかく「修羅の狂ひ」は「鬼の振舞」にもなりやすく、また、逆に花やかにしようとすると「舞の手」になりやすく、とちらかへ偏りがちなものだ。装束に弓箭や太刀長刀を帯びているから、その持ち方や使い方をよほど熟練して働かせなければ、曲舞がかりの拍子に乗る動きもなかなか難しく、少し舞懸りの手の工夫が加味されるのがよいだろう。よくよく注意して、鬼の働きにも偏らず、舞の風流にも偏らず、工夫せよ。
というほどの意か。


この修羅能における「軍体」の演技について、のちの世阿弥は、「砕動」と「力動」という対照的な語を用いて、より深まりをみせる
砕動とは、心を砕いた所作、人間的な心をその動きにしっかりと込めた所作とでもいうべきか。
鬼の所作として大仰な派手々々しい表現の力動に対置し、砕動を用いて芸の工夫とする。
さらには、後日の鬼の段に再出しようが、鬼の一風体としての「砕動風鬼」をも生み出すことになる。


――参照「風姿花伝−古典を読む−」馬場あき子著、岩波現代文庫


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