しとどに濡れてこれは道しるべの石

kuuhaku-no


<風聞往来>


「空白の一行」の、事実は小説より奇なり>


先日の日曜日(6/12)、高校時代の同窓会に行ってきた。
旧制中学時代から今日に至る百年余りに巣立っていった全体の同窓会総会で、
対象者は3万人は優に越えるはずなのに、
例年は母校食堂で同窓会幹事連を中心に数十名規模でしか集っていないと些か寂しいもの。
本年はホテル開催とし、同窓会報誌でもひろく呼びかけたというが、それでも7、80名の集いか。
高校15期会としては協議の結果、年次例会をそこへ合流させたので、私も出向かざるをえなかった次第。
最近、同期のY.H君が「空白の一行」という小説本を出版したという話は耳にしていたのだが、
席上、その本人から「是非、読んでみてくれ」と名指しで言われたからには、
推理まがいはそう気乗りがしないのだが仕方あるまいと、手にしてみた。


文芸社刊「空白の一行」、初版第一刷発行が5月15日とある。
著者名は悪源太佑介、ペンネームからして推理作家を彷彿とさせる。
帯の表には、
 もし、公証人が、「遺言公正証書」を偽造したとしたら‥‥
 そして、裁判官は真実を闇に葬った‥‥
 立花凛子が悪に敢然と立ち向かう!
 最高裁までも巻き込んだ民事事件を、ルポルタージュ手法で小説化した意欲作登場!」
とあり、さらに帯裏には、
 賢明な読者ならもうお分かりであろう。
 公証人と弁護士が手を携え悪事に手を染めることなど容易に類推でき、
 「遺言公正証書」は、いとも簡単に偽造できるということである。
 偽造が容易にできる民法969条の条文に疑問を抱くのは、私だけであろうか?
とあるが、
これだけで、現実の民事訴訟最高裁まで争われた「公正証書遺言偽造疑惑事件」に取材したノンフィクション小説だというのは明白なのだが、
読み進んでいくうちに、この事件、どう見ても作者の近親というより、作者の妻自身がヒロインの訴訟原告らしいこと、
当然、作者自身が原告の夫として訴訟の推移そのものに深く関与しているとしか思えないものである。


読了しての第一感、本書はノベルというべきものではないし、また推理小説ともいえないだろうこと。
作者のY.H君は、小説の体裁をなんとか保ちたかったと見え、ディテールにはそんな工夫も散見できるのだが、(例えば被告側の依頼者女性とその弁護士との情交場面の挿入などいくつかの虚構化らしき断片)、
また、訴訟相手側の細部の動きなどは厖大な訴訟記録を資料として、具体的に見えない部分については類推するしかない訳で、そこは書き手の想像力に負うところではあったろうけれど、
なんといっても、公正証書遺言にまつわる相続事件が、最高裁にまで及んで係争されたという訴訟事件の、事実の推移そのものの重みがどうしても前面に出てきて圧倒されるのだ。
本書は、現行の法制や司法権力、とりわけ公証人制度にありうる危険な陥穽に対する、ダイレクトなプロテストの書であり、法治国家を支える厖大な法の網にある綻びを衝いた警鐘の書である、というべきか。
その意味では、本書で問うている問題は深くて重いと思われるし、本書の書かれた意義も大いにあるといえよう。


民法969条とは公正証書遺言に関わる規定である。
 第969条 公正証書によって遺言をするには、次に掲げる方式に従わなければならない。
 1.証人2人以上の立会いがあること。
 2.遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。
 3.公証人が、遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること。
 4.遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。ただし、 遺言者が署名することができない場合は、公証人がその事由を附記して、署名に代えることができる。
 5.公証人が、その証書は前各号に掲げる方式に従って作ったものである旨を附記して、これに署名し、印をおすこと。
ところで、公証人というのは、判事、検事、弁護士、法務局長等を長年つとめた人々から法務大臣により任命される権威ある職制である。
全国におよそ550人の公証人がいて、約300か所の公証人役場で職務を行っているというのだから、その員数もまた極めて少なく、司法界の功なりとげたエリートたちがその晩節に与えられる特権的地位のようなものだ。


本書では、舞台を金沢へ移し、訴訟の係争も金沢地裁、金沢高裁においてとされているが、現実の係争事件は大阪で起こっていたらしい。
なにしろ最高裁で原判決を破棄、差し戻されたのだから、ネット上でも判例の検索が可能だ。
モデルとなった事件は、どうやら
「平成16年02月26日 第一小法廷判決 平成13年(受)第398号 公正証書遺言無効確認請求事件」
に該当するようである。
この判例を背景とし、本書における係争の推移を追えば、実際の事件の全貌はほぼ完全に明らかとなる。


この判例文を読んでみて、どうにも感じてしまう疑問というか、大きな問題点を一つだけ挙げておこう。
高裁の原判決を破棄し差し戻すというからには、あらためて十全な事実認定をなし、破棄理由を縷々述べたてているのだが、そのなかに
「大阪法務局は,毎年9月に公証原本の検閲等の公証事務の監査を行っており,B公証人が所属する役場においても,平成5年9月1日に同年8月31日 までの1年分の嘱託事件について抽出調査による検閲が行われたが,その際,署名押印漏れ等の不当事例や誤りの指摘を受けなかったこと」
を挙げているのだが、これがすべての公証原本の調査検閲ではなく、<抽出調査による検閲>でしかないというのに、不当事例や誤りはなかったとする傍証として言挙げしていることなどは、驚き入ったとんでもない事態である。
最高裁ともあろうものが、ざるで水をすくうような、こんないい加減な論理でもって有力な反証の一つとして掲げる、とは言語道断というべきだろう。
最高裁が高裁における事実認定をことごとく覆し、原判決が破棄され、差し戻された事件の再審は、見るも無惨なものだったろうことは想像に難くない。実際、半年も要さずあっけなく終ったようだ。


本書最終章には、原告本人からの最高裁判所長官宛の手紙が、おそらく原文のまま再現されている。
P196からP230にいたる35頁を要した、原告の思いの丈をあまり残さず述べたてた長文の抗議文書である。
その日付は、平成16年10月21日となっている。
まだほんの半年あまり前のことだ。


最高裁判例という世界において、事実は小説より奇なりとばかり、かような怪奇な現実を垣間見せられるとは、
まだまだ権力機構のなかでは魑魅魍魎の跋扈するわが世であるらしい。


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