生き残つたからだ掻いてゐる

shinotoge

<日々余話>


「死の棘」に侵されるままに>


以前にも触れたことがあるが、私は殆ど小説を読まない読書人である。
少年期の文芸への疎遠ぶりが尾を引いたのだろうが、私の守備エリアからは、小説世界がもっとも遠いところにあるという自覚で、もう何十年このかた過ごしてきている。
ところがどうしたはずみか、ここ数日は、島尾敏雄の「死の棘」ワールドに嵌まりこんだまま過ごしてしまった。
全十二章、文庫本で610頁というかなり長大の、その扉をたいした覚悟もなく開いてしまってからは、トシオとミホのなんとも形容しがたいくんずほぐれつの結ぼれように、なにか暗い洞穴に無理矢理押し込まれ逃れ出る術もないままに、ただひたすら読み進むしかなかったというのが実情にちかい。


なに、読んでみようと思った動機のほどはたいしたものではない。
何週間かまえに、小説「死の棘」の母胎ともいうべき 「死の棘日記」が単行本化されているのを新聞誌上で知ったのだが、その紹介の書評から此方に食指を動かせたのだが、待て待て、小説の本体そのものを敬遠したままでというのも、戦後文学の代表的傑作と称される本書に対し失礼千万だろうし、ここは一番、小説から入ってみるかと思ったのだ。
著者島尾敏雄は’55年(S30)に「死の棘」に着手、’77年(S52)の最終章発表にいたるまで23年に及んで書き継いでいる。この間、’61年(S36)に芸術選奨を受け。完成翌年の’78年(S53)には日本文学大賞と読売文学賞を受賞している。
高橋源一郎氏曰く、埴谷雄高の「死霊」や大西巨人の「神聖喜劇」、武田泰淳の「富士」を差し置いても、ぼくはこれを第一位に選ぶと、「死の棘」を戦後文学最高の作品と推奨している。


夫の不貞から心病み狂気に彷徨う妻・ミホにただひたすら向き合うしかないトシオとの、果てしなくつづく地獄図としかいいようのない日常。それは妻の快癒へと闘いにあけくれる日々でもあるのだが、その決してほぐれぬ縺れに縺れた泥まみれの日常の描写が全編を貫く。出口のない堂々めぐりの回廊、微かな救済の光さえ見えぬ、あまりに非日常的な結ぼれの日々が、なにか鉛の塊状のものとなって読み手の私の喉へと力づくで呑まされ、内臓深くにまで達したような感じがして、どうも日頃の身体感覚から遠く、その感触が五臓六腑になにやら重く沁みわたっているのだ。


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