山から山がのぞいて梅雨晴れ

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<日々余話>


<啖呵の如く胸打つ、最後の宮大工棟梁のコトバたち>


西岡常一著「木に学べ−法隆寺・薬師寺の美」を読む。


法隆寺金堂の大修理、薬師寺金堂・西塔などの復元を果たし、1995年に惜しくも85歳で死んだ、
最後の宮大工棟梁・西岡常一が発する言葉は、激しくも簡潔明快に、法隆寺薬師寺の堂塔伽藍に隠された、古代人の知恵と技法を語りつくす。
宮大工という謂いそのものが、ぐっと時代を遡る古い謂れの呼称ではなく、
明治の廃仏毀釈からだということに、まずは少なからず驚かされた。
その昔は「寺社番匠」と云ったそうな。廃仏毀釈で社の上にあった寺が外され宮大工といわれるようになった、と。
「番匠」=ばんじょう、又は、ばんしょう、とは辞書によれば、
古代、大和や飛騨から京の都へ上り、宮廷などの修理や造営に従事した大工、とあるから平安期に遡りうるか。


まるで啖呵のように威勢よくポンポンと飛び出すコトバは事の本質を衝いてやまない。
樹齢千年のヒノキを使えば、建物も千年はもつ。
木のクセを見抜いて木を組む。
木のクセをうまく組むには人の心を組まなあかん。木を組むには人の心を組め。
木を知るには土を知れ。
石を置いてその上に柱を立てる。
法隆寺の夢殿は直径が11m.やのに軒先は3m.も出てる。
大陸に比べて日本は雨が多い。
飛鳥の工人は日本の風土というものを本当に理解して新しい工法に変えたということ。
一番悪いのは日光の東照宮、装飾のかたまりで、あんなものは工芸品にすぎぬ。
人間でいうたら古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。
夢殿の八角形は、八相=釈迦が一生に経過した八種の相=降兜率・入胎・住胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅=を表す。
聖徳太子斑鳩寺は、文化施設。人材を養成するため場所としての伽藍。
白鳳の薬師寺は、中宮の病気を治すための伽藍であり、その設計思想は、薬師寺東塔の上の水煙にあり。
天人が舞い降りてくる姿を描いているが、天の浄土をこの地上に移そう、という考え。
仏教は自分自身が仏さまであること。それに気づいていないだけだ、と。
神も仏もすべて自分の心のなかにあるということ。
自分が如来であり菩薩であるということに到達する、それが仏教。
飛鳥・白鳳の建造物は国を仏国土にしようと考えて創られた。
藤原以後は自分の権威のために伽藍を作っている。
聖武天皇東大寺でも現世利益的な考えが六分まである。
等々と、達人の竹を割ったような舌鋒はどこまでも小気味良い。


なかでも、私を絶句させてくれたのは、法隆寺中門の柱の話。
法隆寺の中門は不思議な形をしている。門の真ん中に柱が立っている。左右に入口がふたつあるような格好。
この真ん中の柱を、梅原猛さんは、「聖徳太子の怨霊が伽藍から出ないようにするため、柱を真ん中に置いた。いわば怨霊封じだ。」というが、そんなことはない。
中門の左右の仁王(金剛力士像)は、正面左の仁王さんが黒くて、右の仁王さんが赤い。
人間は煩悩があるから黒い仁王さんの左から入って、中で仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて、赤い仁王さんの右のほうから出てくる。正面左側が入口、右側が出口ですな。
と、聖徳太子怨霊説で一世を風靡した梅原猛の「隠された十字架」の核ともいうべき推論をこともなげにばっさりと切り捨てる。
もう二度と現れえないだろう達人の、直観的に事の本質を赤裸にするコトバの世界は、一気呵成に読みついで爽快そのものだが、その知は決して伝承されえぬ永遠の不在に想いをいたすとき、詮方なきこととはいえ、人の世の習い、歴史というものの残酷さが際立ってくる。


今月の追加購入本
島尾敏雄「死の棘日記」新潮社
三浦つとむ「日本語はどういう言語か」講談社学術文庫
遥洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」ちくま文庫


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