野分あしたどこかで家を建てる音

041219-042-1
Information「四方館 Dance Cafe」


<古今東西−書畫往還>


<懐かしい日々の記録−「輝いた日々」>

先日、日経大阪PR社から出版された「輝いた日々」という書が送られてきた。
著者は知人の川島慶造氏。
「1960年代参加型市民運動より現代を問う」と、
些か大時代な感の否めぬ副題がついている。
帯には、東大名誉教授、篠原一氏の
「第二の近代と呼ばれる21世紀に、
私たち市民はどんな課題に取り組まなければならないのか。
‘60年代に行動を起こした川島さんの足跡を記した、本書は明日への示唆を与えてくれる。」
と推薦の弁があるが、これまた隔靴掻痒、的を得たとはいえそうにないコピーだ。
著者の川島氏は1933年生まれ。若い頃、社青同(日本社会主義青年同盟)に身を投じ、
大阪市内の港区において公営住宅建設運動や住民主体のコミュニティづくりに、
住民の立場から献身的に行動し、たしかに一定の実効をあげた運動の旗振り役を任じた。
60年代から70年代、地方自治と住民のあいだのパイプ役として参加型地域住民運動を盛り上げたパイオニア的存在だというわけである。


'61(S36)年に大阪に襲来した第二室戸台風の被災は、'50(S25)のジェーン台風による大水害の恐怖を喚起した。ジェーン台風の災禍に学び、土地区画整理事業による区内の盛り土工事と、湾岸河岸のすべての防潮堤が3.5メートルへと高く築かれ、もう二度と水害騒ぎは起こらぬと安心していた市当局も港区住民も、この浸水騒ぎで慌てふためいた。当時、池島地区に密集していた木造平屋の市営住宅はすべて床上浸水した。この被災から木造平屋の市営住宅建替問題が市当局と住民双方にとって急浮上してくるのである。
いわば状況として行政当局と住民側双方に建替問題という緊急なニーズは沸騰しつつあったわけで、つねに対立しがちな両者をいかに具体的に結びつけ、付け焼刃的な解決策に終らないようによりよいコミュニティ像を描き出しつつ、いかに実効をあげるかに腐心工夫し、住民運動的な展開をさせていくか。ここに氏の奮闘ぶりもひとつの要の役割を担ったようである。


惜しむらくは本書、あとがきをかねた終章を含め8章からなるが、各章において重複する部分が多く散見されることである。内容から推察するに、1章と終章はあらたに書き起こされたもののようだが、あとは60年代、70年代に各所に発表された報告記のようだが、同趣旨の文のため随処に重複箇所がでてくるのでいかにも煩瑣にみえる。
一書として出版するには労を惜しまず全面的な改稿をして体裁を保って欲しかったといわざるをえない。


一読者としては、1章における書き起こしのジェーン台風の水害描写が、55年も昔の幼い頃の記憶へとタイムスリップさせてくれ、懐かしく楽しめた。
私の場合は隣区の九条であったがやはり床上浸水し、一階の畳はすべてめくりあげ、一週間あまりは二階生活を余儀なくされたのだが、満6歳だった子ども心には不便きわまりないその日々も心ときめくほどに楽しく、あちらこちらに急場づくりの筏で往来する人々や、荷物や衣類を頭上に載せてハダカ同然で泥水のなかを歩く人々の姿など、さまざまな懐かしい風景を甦らせてくれた。
是、本書を読んだ功徳の最たるものである。


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