膝にとんぼが、おのれを鞭うつ

041219-053-1
   Information「四方館 Dance Cafe」


<古今東西−書畫往還> 


スコットランドの民族衣装、
     キルトとタータンは意外に新しい>


高橋哲雄・著「スコットランド 歴史を歩く」を読んでいると、あの民族衣装、男性がはく膝丈のヒダつきスカートのキルトも、氏族ごとに色や柄がちがうといわれる格子縞模様のクラン・タータンも、そんなに歴史を遡るものではなく、意外と新しい風俗だとあって、歴史や伝統の捏造とはいわないまでも、伝統性などというものは遡って虚構化されていくものだと、あらためて実例をもって気づかされる。


著者によれば、スコットランドは、ハイランド(高地地方)とロウランド(低地地方)の二つの異質の地域がこの王国のなかに居心地悪く同居しつづけてきた。ハイランドはスコットランドの北ないし北西に広がる高地地方と島嶼部からなる。深い谷と入江で分断され、人口密度は低く、ほとんど都市や産業らしきものはない。牛と羊の高地放牧を主な生業としてきた。18世紀まではケルト系のゲール語圏で、独特の氏族制が残っていた。いわば「化外の地」であって、わずかに古い城砦や石の十字架を見るにとどまる。
ロウランドは都市化の進んだ中央低地−エディンバラグラスゴウがある−と東部海岸平野、それに南部の丘陵地帯を合わせた地域。地味、気候にめぐまれて早くから農業が行なわれ、産業化も進み、所得水準も相対的に高い。自治都市、王宮、司教座聖堂修道院、裁判所、大学等はすべてロウランドに集中した。


キルトの場合、18世紀の初め頃に、ハイランド地方の森の作業場で、必要に迫られ生れた作業着にすぎないものが、19世紀初めの民族衣装ブームのなかで上・中流階級に急速にひろまって古来からの民族衣装へと昇格していったというのが事の真相らしい。
クラン・タータンとなるとさらに時代は新しく、ハイランド地方における氏族制度は1746年のジャコバイトの乱の敗北で解体されていくが、その頃でも氏族別のタータン柄というのは生れていなかったようで、ところが1822年のイングランド国王ジョージ4世がエディンバラ行幸したさいには、ハイランドだけでなくロウランドの貴族や郷士たちまでもが「わが家のタータン柄」と称してクラン・タータンを身につけていたという。


こうした<伝統が創られる>背景には、イングランド地方のイギリス国王とスコットランド地方の歴史的な長いあいだの相克から、統合・征服化されていくにしたがって、かえって征服される側=スコットランド地方の物語化、ロマン化が紡ぎ出されていくということがあるようだ。


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