松風すずしく人も食べ馬も食べ

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<芸能考−或は−芸談>−03


<盆踊りと口説−くどき>


 儀式化、行事化した念仏踊りは中世・近世を経て大規模となり、祖霊供養や精霊送りの「大念仏」と呼ばれるようになるが、いつしかその合い間には盆踊りをともなうようになる。より娯楽的な要素の挿入である。その背景からみても、本来、盆踊りというものは二重性を有する。天−浄土にあこがれ、霊の浄化を願いつつ、地上をのたうちまわるが如く生を燃焼するひとときが、盆踊りといえようか。
 この盆踊りの歌には<口説−くどき>という長詩形の物語歌謡が多い。謡曲浄瑠璃では人物の思いの丈などを述べる語りの部分を口説きというがもとは同根である。説教節や祭文も瞽女歌も、古くは平曲も口説きといえるだろう。しかし、謡曲浄瑠璃などの芸では洗練され節回しも複雑に難しくなりすぎる。そこで短い節を一節憶えれば、それを繰り返してどんな長篇も唄えるようにしたのが一般化してひろまっていく。「嬉遊笑覧」という書では、道念山三郎なる者が貞享(1684-1688)の頃、盆踊口説をはじめた、と五来重は紹介している。初めの頃の盆踊口説きは中世説話を「くどき」化したものが多く、「小栗判官照手姫」「石童丸刈萱道心」「俊徳丸」「信太森葛の葉」「中将姫」などが主流だったとされ、やがて当世物の演目「八百屋お七」や「二十四孝」、「先代萩」などへ移っていき、さらには大衆の講談的嗜好に応えたものや諷刺物、物づくしへと変わっていくことになるが、こうなると「チョンガレ」そして浪花節へとストレートにつながってもゆくのである。
八木節も、江州音頭河内音頭も、口説きの末流というわけである。


     ――参照 五来重「踊り念仏」 平凡社ライブラリー


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