百舌鳥啼いて身の捨てどころなし

uvs050420-072-1

<古今東西−書畫往還> 


<ことばあそびうた−生と死のマンダラ図>


   いちのいのちはちりまする
   にいのいのちはにげまする
   さんのいのちはさんざんで
   よんのいのちはよっぱらい
   ごうのいのちはごうよくで
   ろくのいのちはろくでなし
   しちのいのちはしちにいれ
   はちのいのちははったりで
   くうのいのちはくうのくう
   とうのいのちはとうにした
   じゅういちのいのちのいちがたつ


 谷川俊太郎のことばあそび歌にある「いのち」と題された詩篇
一から十一へと連なる語群のその背後には、男と女のエロスのあらゆる経緯が暗喩されているとも読めそうな、数え唄を体したこの<生と死のマンダラ図>のごとき詩を、子守唄のように三歳や四歳の幼な児に聞かせるとすると、どんな響きをもって伝わるのだろう。
自分の両親というものが、父であり母であるばかりでなく、男でもあり女でもあるということ、なにやらそんな秘密めいた世界が、無意識に感じとられるのだろうか。
 生命体としての人は、だれでも、それは無意識にではあるが、−記憶にないところへ遡りたい−と希っているにちがいない。
そして詩人は、文字以前のことばへ、ことば以前の音へ、音以前の声へ、声以前の胎内の生動へ、とめざしてコトバを紡ぎだしている。


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