契りとて結ぶか露のたまゆらも‥‥

051019

−今日の独言−

異彩を放つ本歌取り「続 明暗」
 漱石の「明暗」を読んでもいないくせに水村美苗の「続 明暗」を読んでみた。いわば本歌取りを鑑賞して未知の本歌を偲ぶという、本末転倒と謗りを受けても仕方のないような野暮なのだろうが、それなりにおもしろく楽しめた。
本書冒頭は、漱石の死によって未完のまま閉じられた「明暗」末尾の百八十八回の原文そのままに置かれ、津田と延子の夫婦と津田のかつての恋人清子との三角関係を書き継いでいく、という意表をついた手法が採られている。
換骨奪胎という言葉があるが、過去の作品世界を引用、原典を擬し異化し、そこに自己流の世界を構築するという手法は、古くは「本歌取り」などめずらしくもなく、今日では文芸に限らずあらゆる表現分野に遍くひろまっているとしても、本書の成り立ち方はとりわけ異彩を放つだろう。
著者は文庫版あとがきで「漱石の小説を続ける私は漱石ではない。漱石ではないどころか何者でもない。「続明暗」を手にした読者は皆それを知っている。興味と不信感と反発のなかで「続明暗」を読み始めるその読者を、作者が漱石であろうとなかろうとどうでもよくなるところまでもっていくには、よほど面白くなければならない。私は「続明暗」が「明暗」に比べてより「面白い読み物」になるように試みたのである」という。
小説細部は晦渋に満ちた漱石味はかなり薄らいでいるとみえるも、なお漱石的世界として運ばれゆくが、延子の夫津田への不信と絶望に苛まれ死の淵を彷徨った末に、新しき自己の覚醒にめざめゆく終章クライマックスにおいては、もはや漱石的世界から完全に解き放たれて作者自身の固有の世界となった。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−11>

 契りとて結ぶか露のたまゆらも知らぬ夕べの袖の秋風   飛鳥井雅経

明日香井集、秋風増戀。平安末〜鎌倉初期。飛鳥井流蹴鞠の祖。源実朝と親交あり、定家と実朝の仲を取り持ったとされる。
邦雄曰く、情緒連綿、潤みを帯びた言葉をアラベスク状に連ね、人を陶酔に導くかの調べ。第四句の「知らぬ夕べの」で、ひらりと身をかわし、一首に言いがたい哀愁を漂わせ、それを受けつつ「袖の秋風」と、倒置法を思わす結句のかすかな抵抗感で、歌を引き締めるところ心憎いばかり、と。


 高円の尾上の萩の摺りごろも乱れてくだる雲の秋風   正徹

草根集。室町中期。定家の風骨に学び、夢幻的・象徴的な独自の歌風。歌論書に「正徹物語」。
邦雄曰く、歌の背景には伊勢物語の「若紫の摺衣しのぶの乱れ」を匂わせ、第四句「乱れてくだる」が一首を際立たせる。山の頂から麓まで、萩の花群を乱しつつ吹き下る秋風。絢爛としてしかも寂びさびとした光景、速力ある調べは正徹の本領を遺憾なく伝える、と。


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