晴れずのみものぞ悲しき‥‥

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−今日の独言−

ふりかえってみれば‥‥。
 図書館で借りてきた今は亡き市川浩の「現代芸術の地平」をざっと読了。
彼特有の現象学的身体論でもって60年代、70年代に活躍した建築・美術・演劇・舞踊などの作家たちの仕事を読み解いた論集。演劇でいえば、夭逝した観世寿夫、同じく寺山修司、そして鈴木忠志。とくに「他者による顕身」と題した鈴木忠志論は稿も多く詳しい。利賀山房だけでなく常連のようにその舞台によく親しんだのだろう。
私自身、市川の「精神としての身体」や「身体の現象学」は、メルロ・ポンティの「知覚の現象学」や「眼と精神」とともに教科書的存在として蒙を啓いてもらってきたし、同時代を呼吸してきた身としても、彼らの仕事に対する市川の読み解きはずしりと重さをもって得心させられる。
ふりかえってみれば、戦後60年のなかで、中村雄二郎ら哲学者たち或いは文芸評論家の蒼々たる顔ぶれが、芸術の実作者たちと真正面から向き合い、互いに共振・共鳴しあった、特筆に価する時代が60年代、70年代だった、といえるだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−14>

 晴れずのみものぞ悲しき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ   和泉式部

拾遺集、秋、題知らず。古今集、詠み人知らずに
「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」の一首ありとか。
邦雄曰く「序詞としての第二句までを、一首の中に眺めとして再現し、模糊たる心象風景に昇華した。二句切れの間は、一瞬であるがあやうく心の中を覗かせようとする。結句は言わずもがなにみえつつ、重い調べを創り出すに、無用の用を務めた、と。


 玉鉾の道行きちがふ狩人の跡見えぬまでくらき朝霧   恵慶法師

恵慶法師集、霧を。平安中期(十世紀)、和泉式部らと同時期の人。出自・経歴など不明。
邦雄曰く「濃霧の朝の眺めか。いかめしい枕詞の初句「玉鉾の」も、結句の重さと快く照応する。実景か否かは問題ではないが、題詠ではこれだけの実感は漂うまい。「行きちがふ」にその呼吸がうかがえる、と。


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