秋萩の露のよすがの盛りはも‥‥

Nakahara050918-012-1

Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

四方館稽古条々−「ポテンシャルを強めるべし」

 二週間前(10/16)の稽古で、ラカンを引いて「無意識とは、他者の欲望である」とするなら、即興において自分自身が繰り出してくる動きや所作自体が、すでに無意識裡に無数の他者たちによって棲まわれていることになる、といったような話をしたら、俄然、動きが自在となり豊かになった、と此処に書き留めた。そこで今日は、先とは逆療法的なアプローチだが、従来に比して「もっとポテンシャルを強めること。筋肉的な或いは見かけ上の強弱などではなく、心−身の内圧というか気の力というか、そういったものを強く保持せよ。」と伝えて稽古に入った。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−20>

 萩の花暮々までもありつるが月出でて見るになきがはかなさ   源実朝

金塊和歌集、秋、詞書に「庭の萩二十日に残れるを月さし出でて後見るに、散りらたるにや花の見えざりしかば」と。邦雄曰く、月明りが白萩を無と錯視させたのか、否、実朝は心中に、跡形もない萩の「空位−ヴァカンス」を見た。数年後の死に向かって後ろ向きに歩む、源家の御曹司たる一青年の、これは声にもならぬ絶叫である、と。


 秋萩の露のよすがの盛りはも風吹き立つる色ぞ身にしむ   九條家良

衣笠前内大臣家良公集、秋、萩花。鎌倉前期、実朝と同年。
二句「露のよすがの盛り」や三句「風吹き立つる色」など新古今などにはない詞の用法といわれる。邦雄曰く、耳に逆らいつつ、しかも快い修辞は作者の特色のひとつ。しかも風に揉まれて露まみれ、乱れる萩一叢が、ありありと眼前に顕れるところ、非凡というべきか、と。


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