おしなべて思ひしことのかずかずに‥‥

051023-112-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

屏風歌詠みの紀貫之
 丸谷才一の「新々百人一首」を読んでいると、採り上げた歌の解説に、よく屏風歌であると指摘する箇所が出てくる。屏風歌とは、一言でいえば、屏風絵に画讃として色紙型に書き込まれた歌のことだ。屏風絵−屏風歌の多くは、四季あるいは十二ヶ月の情景をあらわしている。四季折々の情景が、季節の順に画面右方から左方へと散りばめられ、各情景は、添えられた屏風歌とともに鑑賞される。描かれた情景を見、歌を読み、その情景のなかに入り込んでいくとき、画中人物には血が通い、生きる時間が流れはじめ、風景は瑞々しく生動してくるだろう。また、屏風絵全体を大きく眺めわたせば、その四季共存の光景は、彼岸ではなく此岸としての理想郷にほかなるまい。
この屏風絵−屏風歌が盛んになるのは、唐風の絵画から脱して、国風文化としての大和絵が成立してくる9世紀以降、古今集成立前夜頃であろうとされる。考えてみれば、その古今集もまた、屏風絵−屏風歌の構造と同型のものではないか。四季折々の歌が配され、自然を愛で人生を観じ、或は恋に悩み恋に生きる姿が謳歌される。丸谷才一によれば、古今集編者紀貫之の「貫之家集」888首の約6割は屏風歌であるとされ、屏風絵の画讃の歌詠みとして貫之は当世流行の職業的歌人でもあったろう、としている。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−29>

 おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮  藤原良経

新古今集、秋。詞書に、百首歌奉りし時。平安末期から鎌倉初期。関白九条兼実の二男にして、若くして関白、摂政に任ぜられるも37歳にして急死している。邦雄曰く、達観というには若い31歳ながら、すでに壮年の黄昏に、独り瞑目端座して過去の、四方の、永く広く深い「時」の命を思いかつ憶う。嘗ての憂いも悲しみも、この秋の存在はなおひとしお身に沁む、曰く言い難い思考であり、感嘆でもあろう。第五句重く緩やかに連綿して類いのない調べ、と。


 身をしをる嵐よ露よ世の憂きに思ひ消ちても秋の夕暮  肖柏

春夢草、秋夕。秋の嵐に、草木も萎れ澆(しお)れるように、人の身もまた斯様な思いであろう。しをるには責(しお)るの意も微かに通わせているか。第二句「嵐よ露よ」と、並べ称えべくもないものを連ねているのも耳をそばだて、強い印象を与える。邦雄曰く、第四句の余韻に無量の思いを湛え、しかも敢えて切り棄てて「秋の夕暮」と結んだところに、深沈たる余韻が生れた。この一首、連歌風の妙趣をも感じる、と。


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