白露の消えにし人の秋待つと‥‥

050826-011-1-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

出口探しのむずかしさ

 29日のDanceCafeに向けて先週の日曜から続けて杉谷君のピアノ演奏と共に即興をしているのだが、その昨日の稽古場に、養護学校に勤める友人が自閉症の女子生徒を伴なってやって来た。聞けば、この少女はピアノの演奏が好きで以前はよく上手に弾いていたのだが、なぜか最近はさっぱり弾かなくなっているので、我々の稽古での杉谷君の演奏が、彼女にとってなにか刺激にならないかと思ってのことだったらしい。さらには彼女が興にのってその場で演奏でもはじめれば、その演奏技量や才能のほどを杉谷君に診断してもらえれば、との思惑もあったらしいのだが、ことは自閉症の少女であるから見事にその淡い期待は外れてしまった。彼女にピアノの前に座らせ、いつもよく弾いていたという教本を杉谷君に弾いてもらい、彼女にその気を誘い出そうと試みるのだが、いくら試みても空しくその硬い殻は閉ざされたままに終わった。まこと出口探しはそんなに容易なことではないのだ。
 自閉症者で音楽に特別の才能を発揮する人の例は、大江健三郎の子息光氏の場合を引くまでもなく、意外に多いらしいという事実は私も知ってはいるが、では実際にその彼や彼女たちに、どういう場面を与えれば自由に振舞い、その隠れた才を引き出せていけるかは、おそらく個性に応じてあまりにも微妙かつ千差万別で、周囲の人間がその壁を充分に判別すること事態が非常に難しい。彼や彼女自身よりもその家族や周囲が果たさなければならないサポートは想像がつかぬほどに煩瑣なものがあるだろう。彼らの内部に埋もれ眠ったまま発揮されることのない才は夥しいほどにあるにちがいないが、それはなにも自閉症者に限られたことではなく、ヒトの無意識に潜む無辺のひろがりを視野に入れるとすれば、均しく我々のだれにも当て嵌まることであろうけれど‥。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−37>
 来む年も頼めぬうわの空にだに秋風吹けば雁は来にけり  源実朝

金塊和歌集、雑。詞書に、遠き国へ帰れりし人、八月ばかりには帰り参るべき由を申して、九月まで見えざりしかば、彼の人の許に遣わし侍りし。邦雄曰く、実朝には、その時既に満27歳正月の鶴岡八幡宮における悲劇が、はっきりと見えていた。あはれ、「来ぬ年も頼めぬ」とは、彼自らの翌年の命にすら、確信が持てなかったのだろう、と。


 白露の消えにし人の秋待つと常世の雁も鳴きて飛びけり  斎宮女御徽子

斎宮集、誰にいへとか。父・重明親王の喪が明けて後の作とされ、格調高く亡父を偲んだ歌と解される。邦雄曰く、雁は人の知り得ず行き得ぬ常世の国に生まれ、そこから渡っては訪れ、また春になれば還る。唐・天竺の他は別世界、別次元であった、と。


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