荒れわたる庭は千草に‥‥

051023-122-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−

王朝の頃の「逢ふ」・「見る」

 これもまた丸谷才一「新々百人一首」からの伝だが、
王朝和歌の時代、「逢ふ」ことは単なる対面、出会うという意味にとどまるものではなく、契りを結ぶ、性交するという意味になることが多かった、とされる。
竹取物語」にある、
「この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをす」
というのもそう受け取らないとまるで意味不明。
もっと古くは万葉集大伴家持の歌で、
「夢の逢ひは苦しくありけり驚きてかきさぐれども手にも触れなば」
とあるのも、夢で契るのは苦しく辛い、との意味で、ともに男女の情交のことであろう。
さらには、「見る」においても同じ用法が含まれてくる。成人の女がじかに男に見られることは特殊な意味をもって、御簾とか几帳を仲立ちとしなければ対さなくなる。
小倉百人一首
「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」
では、この「逢ふ」と「見る」が合成され、「逢ひ見る」と複合動詞になるが、無論これも、契りを結んだあとの複雑な悩ましさを詠んだもの。
そういえば、年配の人なら大概ご存知の、大正の頃の俗謡「籠の鳥」の
「逢いたさ見たさに怖さも忘れ 暗い夜道をただひとり」
も、恋人と寝たいがために暗い夜道をゆく、ととるのが歌の真意なのだろう。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋−41>
 荒れわたる庭は千草に虫のこゑ垣穂は蔦のふるさとの秋  藤原為子

玉葉集、秋、秋里といふことを。生没年未詳、二条(藤原)為世の子、後醍醐天皇の側室となり、尊良親王宗良親王を生むも、まもなく早世した。
邦雄曰く、余情妖艶、これを写して屏風絵を描かせたいと思うほど、凝った趣向の豊かな晩秋の眺め。殊に「蔦」が生きており、上・下句共にきっぱりした体言止めであることも意表をついた文体。初句は荒廃よりも、むしろ枯れすすむことへの嘆きであろう、と。


 聞き侘びぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声  後醍醐天皇

新葉和歌集、秋、月前涛衣といふことを。新葉集は後醍醐帝の皇子宗良親王の選。結句「衣うつ声」は、砧の上で槌などによって衣を叩く音。晩秋の張りつめた大気を震わせて届く響きは、冬籠りの季節が間近いことを告げる声でもあろう。
邦雄曰く、初句切れ、秋の後二月の名の連呼と「ながき」の押韻、下句の声を呑んだような体言止めが効果的で、太々とした潔い調べを伝える、と。


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