結ぶとも解くともなくて‥‥

Nakahara050918-022-1
Information<四方館Dance Cafe>

−今日の独言−
青い栞


    蛙等は月を見ない
    恐らく月の存在を知らない


 紅葉の見頃は今日あたりが最後の休日となるのだろうが、稽古のためそうもいかない。今年もまた出かける機会を失してしまったのはいかにも残念だが、明後日にDance-Cafeを控えているのだから致し方ない。
 午後2時半頃、帰宅してすぐに市長選挙の投票に行く。そういえばさすがに今回の期日前及不在者投票が6万7797人と前回(5万5762人)を上回っている由だが、財政再建という難題を抱えた出直し選挙という名分には選挙線自体ほど遠い低調さだったから、投票に行く前から結果に対する期待感はほとんどないにひとしい。考えてみれば奇妙な話だ。その行為に対してすでに意味を喪失してしまっているのにそれを為すというのは。この白々しさは愚劣きわまるものではないかとさえ思う。投票を済ませて青い薄っぺらな栞を手にしたとき、一瞬、虚しさが身体を突き抜けた。


    月は彼等を知らない
    恐らく彼等の存在を想ってみたこともない 
                          −中原中也「未刊詩篇」より−


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−3>
 妹等がりわがゆく道の細竹(しの)すすきわれし通はばなびけ細竹原  作者未詳

万葉集、巻七、雑歌、草を詠む。「妹等(いもら)がり」は「妹許(いもがり)」と同義、愛しい人の許への意。細竹は篠。我れに靡けとばかり、肩で風切るようにして、腰の辺りまで伸びた青い篠原を、ただ愛する人に逢いたさに、駆けるばかりに急ぐ若者の姿が眼に浮かぶような一首。
邦雄曰く、結句「なびけ」の命令形も殊のほか爽やか。「われ」と「しの」の重複も弾みを与えて効果的。読後に、篠原が撓り、男の通った跡が水脈(みお)を引くかに、白々と光る光景も見えようか、と。


 結ぶとも解くともなくて中絶ゆる縹(はなだ)の帯の恋はいかがする  大江匡衡

匡衡集。平安中期、10世紀後半から11世紀初期の人。小倉百人一首の「やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな」を詠んだ赤染衛門を妻とし、碩学の誉れ高い大江匡房の曽祖父にあたる。
「縹」は薄い藍色、醒めやすい色なので色変わり、心変わりの意味を持つ。望んでも結ばれず、願わずとも繋がれることもあり、まこと人の心は思うにまかせぬもの。なんら手立ても施さずままに、いつのまにか心変わりして疎遠になってしまったこの仲はどうしたものか。
邦雄曰く、結句「恋はいかがする」と字余りの余勢で、にじり寄るかの重みを感じさせる。出典は催馬楽の「石川」に「いかなる帯ぞ、縹の帯の、中は絶えたる」云々と歌われる、と。


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