かつ惜しむながめもうつる庭の色よ‥‥

050512-047-1

−今日の独言− 喪中につき

 昨日に続き、死に関しての記述で、これを読まれる方には誠に申し訳ないのだが‥‥。
年の瀬のこの頃ともなると、「喪中につき」と年始ご挨拶お断りのハガキが寄せられてくる。此方自身が年経たせいか、そのハガキも近年増えてきたように思うのは気のせいばかりではあるまい。此の人の父上或は彼の人の母上と、なかに、ついに一度もおめもじしないままに打ち過ぎてしまった古い友人の細君から、夫何某喪中につき、とのハガキを丁重にも戴いた場合は、このうえなく胸に応え、しばらくは亡きともがらの追憶などに浸ってしまいがちになる。
不合理ゆえに吾信ず」と言いきったのは埴谷雄高だったが、自分自身もうとっくに、死に向かって生きているのさ、と思い定めてはいるものの、そう言いきるほどにとても貫けはしない私ではある。不慮の病に襲われていかほどに非情への恨みと諦めを行きつ戻りつしたろうかと、此方からは計りようもないはずの無念の心底を慮ってみる愚を、それと知りつつ避けられないのはどうしたことか。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−7>
 吹きにけりむべも嵐と夕霜もあへず乱るる野辺の浅茅生  尭孝

暮風愚吟集、応永28年11月、前管領にて、嵐吹寒草。明徳2年(1391)−享徳4年(1455)。二条派頓阿の曾孫、経賢の孫。将軍足利義教の信任を得て、富士見や伊勢詣でにも随行し、新続古今集選集に和歌所官吏となる。
邦雄曰く、吹きなびき絡みあう枯れ草の姿をそのまま調べに写した感あり。初句切れで嵐の到来を告げ、「むべ山風を嵐といふらむ」を踏まえつつ懸詞で霜を見せ、あえなく乱れ伏す草々の姿を描く。巧者に過ぎるくらいの技量ではある、と。


 かつ惜しむながめもうつる庭の色よなにを梢の冬に残さむ  藤原定家

六百番歌合、冬、落葉。
邦雄曰く、残すべき葉も、すでに一片だに梢にはない。刻々に荒れ、末枯れていく庭の眺めに、暗然と立ちつくす姿。第三句字余りのたゆたいは、心盡くし歴然、と。


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