霜置きてなほ頼みつる昆陽の葦を‥‥

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−今日の独言− ある悲報

 突然の訃報が届いた。バイクによる交通事故死だという。
K.T君、たしか38歳位だと思う。15年ほど前か、彼がまだ関学の学生劇団・爆☆劇団をやっていた頃に知り合った。キッカケはひょんなことからだ。記憶違いでなければ、当時の音響スタッフだった通称、秘魔神を介してだった。神戸の看護専門学校から戴帽式の演出を頼まれた際、照明を手伝ってくれたのじゃなかったか。彼との機縁がなければ、幼な児の母親つまりは現在の連れ合いとの縁も生れなかったことを思いやれば、間遠な関わりではあったが縁は深いともいえる。
彼はここ数年、鬱を病んでいた。最近は「白堊(はくあく)演劇人日誌」という自分のブログに、日々の想いや鬱ゆえの繰り言を綴っていた。時折覗いてみては、近況を知るといった態で、日々をやり過ごしてきたのだが、睡眠剤常用の身でありながら外出はバイクに頼っていた暮らしだったろうから、死と隣り合わせの危険は絶えずつきまとっていたといえるのかもしれない。
通夜は今宵、明日の葬儀という。
合掌。


以下は、彼のブログ日誌より「メランコリー」と題された詩篇のごとき一節。逝ってしまった彼に引用の断りようもないが許してもくれよう。


「メランコリー」

憂鬱の中に飛翔する一枚の葉あり
密かに潜行するグロテスクな牙あり
地上を歩行する頼りなげな人の影
今にも消えてなくなりそうな魂
どこにも行けない子供の性器
今にも狂わんとすなされるべき行為
動かないで
息を潜めて
この饗宴の中で身を隠し
この洪水の様な音の中で耳を傾け
気もそぞろにせわしなく歩き回る
私は気が狂ったのか
それとも世界が姿を変えたのか
充実した果実の熟れ具合を確かめながら
あなたは問う
この世の終わりを探す
いたたまれない姿
行動しない獣達
ぐるりとまわる存在しない地球
世界
時間
場所
濡れそぼったそこ
生きると言う事


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−6>
 霜置きてなほ頼みつる昆陽の葦を雪こそ今朝は刈り果ててけれ  式子内親王

菅斉院御集、冬。生年不詳−正治3年(1201)歿。後白河の皇女。母は大納言藤原秀成の女成子で、守覚法親王以仁王らは同腹。平治元年(1169)賀茂斉院となり、後に退下して出家。新古今時代の女流代表歌人
枯れ枯れの伊丹昆陽の里、それでもなお人の訪れは心頼みにしていたが、今はもうその望みも絶えた。葦群はすっかり雪に埋もれ、通ってくる道さえもない。
邦雄曰く、下句の強勢表現は凄まじく、呼吸の切迫したような、言い捨ての調べは、彼女の全作品中でも異色を誇ろう。この力作、二十一代集のいずれにも採られなかった、と。


 花紅葉散るあと遠き木の間より月は冬こそ盛りなりけれ  細川幽斎

衆妙集、冬。天文3年(1534)−慶長15年(1610)。本名藤孝、熊本細川藩の祖。一説に実父は将軍足利義晴と。母は清原宣賢の娘、忠興の父。剣術・茶道ほか武芸百般に精通、歌は三条西実枝に古今伝授を受け、二条派を継承したと。
邦雄曰く、冬の月冴えに冴え、心を凍らすばかりの眺めを愛でる。上句は花も紅葉もすでに季ならぬことをいいながら、「あと遠き」によってその存在をさらに鮮烈に顕わなものとする効果。下句はその心境を述べたにすぎないようだが、一種祝儀の口上に似た張りと豊かさがある、と。


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