立ちて思ひ居てもそ思ふ‥‥

051023-128-1


−今日の独言− かぞいろは

 上古(古代)では、父母のことを「かぞいろは」または「かそいろ」「かぞいろ」とも言ったそうな。「かぞ(=そ)」は父、「いろは」は母の意と。日本書紀では神代上において、「其の父母(かぞいろは)の二の神、素戔鳴尊に勅(ことよさ)したまはく」という件りがある。広辞苑によれば、やはり「かぞ」は古くは「かそ」で父のこと。「いろは」の「いろ」は「同母」の意味を表す接頭語で、「いろは」とは継母や義母でなく、生みの母、とある。なるほど「いろ=同母」のつく語には「いろね=同母兄・同母姉」「いろと=同母弟・同母妹」がある。ここからは類推なのだが、同母を表す接頭語「いろ」はおそらく「色」との類縁で成ったのではないかと考えられる。では「は」は何かといえば、「歯」と同根なのではないだろうか。「かそ」の「か」もおそらくは接頭語的な語であろうから「か=彼」かと思われる。「そ」は再び広辞苑によれば背中の「背」が「せ」ではなく古くは「そ」だったとあるので、思うに「背」と同根なのだろう。父母を表す語が、身体の部位を表す語と同源であるならば納得のいくところなのだが、あくまで素人のコトバ談義、戯れごとではある。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−4>
 立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾(あかもすそ)引きいにし姿を  作者未詳

万葉集、巻十一。詞書に、正に心緒を述ぶ。
歌意は明瞭、立っても居ても、赤い裳の裾を引いて帰っていったその人の姿が面影に顕れてしまうのだ。
邦雄曰く、たたらを踏むように畳みかけて歌い出す第二句まで、そして第三句からは甘美な夢を反芻するかに陶然と、まさに心がそのまま調べになった美しい歌。赤い衣裳に寄せる恋歌は少なくないが、この紅の赤裳は印象的である、と。


 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  額田王

万葉集、巻一、雑。詞書に、天皇、蒲生野に遊狩したまふ時。生没年未詳。7世紀、斉明朝から持等朝の代表的万葉歌人。鏡王の女、大海人皇子(天武天皇)の妃となり十市皇女を生んだが、後に天智天皇の妃となる。
天智七年(668)五月五日、蒲生野(近江国、今の安土町八日市に広がる野)へ遊狩が催された。帝、弟の大海人皇子その他宮廷の貴顕、官女らも随った。
大海人皇子のこれに答える歌「紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも」
邦雄曰く、女性特有の逡巡・拒絶を装った誘惑・煽情に他ならぬ。鮮麗な枕詞および律動的な調べが、ろうたけた匂いを与えてこの一首を不朽のものとした。禁野における禁断の恋であることも、この歌の陰翳となる、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。