ほんにあたたかく人も旅もお正月

051127-015-1

Information−Aliti Buyoh Festival 2006−


<歩々到着>−6 山頭火の正月句―

 行乞放浪の山頭火には新しい年の晴れやかさは似合わないのか、彼の詠んだ正月句には感銘できるものが少ないように思う。
私のお気に入りを強いて挙げれば、昭和8年の句
  お正月の鴉かあかあ
この前年の9月、山頭火は俳友たちの骨折りのお蔭で念願の庵を故郷近くの小郡に結び、身も心も安寧を得て新年を迎えている。庵の名はよく知られるとおり「其中庵」である。この年の正月句には他に
  お地蔵さまもお正月のお花
  茶の花やお正月の雨がしみじみ
  お正月の鉄鉢を鳴らす
などがある。その前年、昭和7年の正月は放浪の途上、福岡県長尾の木賃宿で迎えて
  水音の、新年が来た
と簡潔明瞭、きっぱりとした句を詠んでいるが、翌二日には親友でありなにかと無心先でもあった緑平居を訪ねているから、このあたりの事情による心の弾みようが句に表れているのかもしれない。
其中庵に落ち着いた山頭火は、昭和8年11月には井泉水師を招いて其中庵句会を催し、多勢の俳友たちの参加を得ている。さらに12月には第二句集「草木塔」も刊行し、充実した草庵暮しのなか意気軒昂と昭和9年、其中庵二度目の新年を迎えている
  月のわらやのしづくする新年がきた
  明けて歩いてもう昭和の九年
  壷に水仙、私の春は十分
  ほゝけすゝきにみぞれして新年
この年、関西、関東、信州を経めぐったが、翌10年も其中庵にて新年を迎えた
  雑草霽れてきた今日はお正月
  草へ元旦の馬を放していつた
  元日の藪椿ぽつちり赤く
  噛みしめる五十四年の餅である
湯田温泉に遊んで
  お正月のあつい湯があふれます
2月には、第三句集「山行水行」を刊行し、夏近くまでは庵住の日々が多かったようだが、またぞろ神経が荒んできたか、8月6日、カルチモンを多量に服用、自殺未遂騒ぎを起こしている。12月、心機一転、あらためて東上の旅に出るが、それは自身の救いを求め、死に場所を求めての必死の旅でもあった。
昭和11年、岡山にて新年を迎え、良寛ゆかりの円通寺を訪れる
  また一枚ぬぎすてる旅から旅へ
と、やはり山頭火は旅中の吟がよろしい。このときの年頭所感に
芭蕉芭蕉良寛良寛である。芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところではじまらない。
「私は私である。山頭火山頭火である。私は山頭火になりきればよろしいのである。自分を自分の自分として活かせば、それが私の道である。
「歩く、飲む、作る、――これが山頭火の三つ物である。
「山の中を歩く、――そこから身心の平静を与へられる。
「酒を飲むよりも水を飲む、酒を飲まずにはゐられない私の現在ではあるが、酒を飲むやうに水を飲む、いや、水を飲むやうに酒を飲む、――かういふ境地でありたい。
「作るとは無論、俳句を作るのである、そして随筆も書きたいのである。
などと書き留めている。以後は正月句らしきものは、昭和14年9月に四国へ渡り、松山の道後温泉近く、御幸山の麓、御幸寺境内の一隅に臨終の地「一草庵」を得て、翌15年の新年を迎えるまで見あたらない
  一りん咲けばまた一りんのお正月
  ひとり焼く餅ひとりでにふくれたる
このあかつき−元旦、護国神社に参拝して−と詞書して
  とうとうこのあかつきの大空澄みとほる
また、道後公園にて
  ほんにあたたかく人も旅もお正月
などと詠んでいる。すでに死期が忍び寄りつつあるその自覚があるとも解せようし、或は身体の衰えそのものが我知らず自然のままに達観を呼んでいるとも受け取れようか。


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