はかなくて今宵明けなば行く年の‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 幼稚園を義務教育化?

 昼過ぎ住吉大社へ出かける。お馴染みの太鼓橋を渡りかけると意外に人出が少ない気がする。そういえば昨年は1日のこの時間帯に来たのだったか。二日目ともなると混みようもかほどに異なるのだ。本殿のほうは第四本宮まで縦に並んでいるが、一番前の第一本宮こそ人だかりでいっぱいなものの、後ろの第二、第三となるとすぐ前の方にまで進める。お御籤を引いたが第十五番の凶。昨年は二人揃って一番籤の大吉だったのにこの落差、お遊びごととはいえ住吉の祭神殿も人が悪いのか悪戯が過ぎるのか、と勝手に決め込む。
 ところで気になるニュースひとつ。ネットで見かけた読売新聞のニュースだが、政府与党は義務教育の低年齢化へと拡大方針の意向を示しているとか。要するに「幼稚園の義務教育化」という訳だ。外国の一つの例として、英国では2000年より5歳から11年間を義務教育化しているそうな。フランスではもうずいぶん前から公立幼稚園の無料化をしている、と。少子化対策でもあり、学力低下問題への対応策でもあろうが、教育の多様化現象がどんどん進んでいる傾向のなかで、幼稚園を義務教育化するという一様なあり方で改善されるものかどうか、判断はかなり難しいように思われる。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬−20>
 はかなくて今宵明けなば行く年の思ひ出もなき春にや逢はなむ  源実朝

金塊和歌集、冬、歳暮。
邦雄曰く、二十代初めの鎌倉将軍が「思ひ出もなき春」とは。人生にというよりはこの世のすべてに愛想をつかしたかの、この乾いた絶望感はかえって「抒情的」でさえある。あまり屈折したために直情を錯覚させるのだろう。同じ歳暮歌の「乳房吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな」もまた新古今風亜流歌に混じるゆえに、なお一種異様な詠となる、と。


 津の国の難波の春は夢なれや葦の枯れ葉に風渡るなり  西行

新古今集、冬、題知らず。元永元年(1118)−建久元年(1190)。俗名佐藤義清(のりきよ)、後鳥羽院北面の武士だったが23歳で出家、鞍馬・嶬峨などに庵を結び、全国各地の歌枕を旅した。以後、高野山へ入山、また伊勢二見浦山中にも庵居。最後は河内弘川寺の草庵にて入寂。歌集「山家集」。
邦雄曰く、単純率直、なんの曲もない歌ながら言いがたい情趣をこめて、能因の本歌「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を」を遥かに超える。俊成は「幽玄の体なり」と評するが、むしろ幽玄へは今一歩の直線的な快速調こそ、顕著な西行調であり、人を魅するゆえんだ、と。


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