滝つ瀬に根ざしとどめぬ萍の‥‥

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Information−Aliti Buyoh Festival 2006−


−今日の独言− まことに芸事とは‥‥

 このところ例年のことだが、筑前琵琶奥村旭翠一門の新年会に親子三人で出かける。私自身は単なるお邪魔虫に過ぎないが、連れ合いが師事してもう四年になるか、いわば牛に引かれて善光寺参りのようなもの。嘗て近鉄球団のホームスタジアムだった藤井寺球場のすぐ近く、千成家という小さな旅館が旭翠さんの自宅であり、無論稽古場を兼ねている。午後2時頃にはほぼ顔も出揃って、お屠蘇で乾杯したあと、ひとりひとりが新年の抱負を含めた短い挨拶を交し合う。新年のこの席での定番はその年の干支にあたる者が日頃の成果をと一曲お披露目することになっているのだが、今年は連れ合い一人がその対象とあって、此方も些か冷や汗ものの気分にさせられつつ、久し振りに彼女の弾き語りを聞いた。演目は現在手習い中の「湖水渡り」。明智光秀の娘婿明智左馬之助にまつわる武者講談噺の世界だが、明治の日清・日露の頃から現在のようなレパートリーに整理されてきたと見られる筑前琵琶には、この手の講談調の演目が数多くある。
 さて肝心の弾き語りだが、成程、旭翠師曰く、一年ほど前から声の出方も良くなったと言われるとおり、語りのノリは幾分か出てきているといえようし、難しい弾きの技(て)もそれなりにこなすようになっている。しかし残念ながら語りと弾きの両者に一体感が生れない、各々まるで別次の世界のようにしか聞こえないのだ。語りと弾きがそれぞれの課題を追うに精一杯で、そのバランスのありように或は両者のその呼応ぶりに意識の集中がはかられていないというべきか。昨日引用したヴァレリーの「形式と内容」問題でいえば、その形式に内容のほうは十分に充填されておらず些か厳しい表現をすれば空疎でさえあるということになろう。この限りではいくら難曲に挑んでいようとも他人様に聴かせる体をなさない訳で、彼女の場合なお二、三年の修練を経ねばなるまいと確認させられる機会となった。さすが伝統芸と称される世界のこと、その形式の奥深さはなまなかのものではないこと、以て瞑すべし。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−9>
 月草に摺れる衣の朝露に帰る今朝さへ恋しきやなぞ  藤原基俊

宰相中将国信歌合、後朝。康平3年(1060)?−康治元年(1142)。右大臣俊家を父とする名門にも拘わらず従五位上左衛門佐で終る。歌学の造詣深く、多くの歌合の判者をつとめ、保守派の代表的歌人だが、俊頼らの新風に屈した。金葉集以下に105首。
邦雄曰く、国信歌合は康和2年(1100)、基俊40歳の四月。彼の後朝は格段あはれ深い。新千載・恋三に第三句を「露とおきて」として採られたが、原作が些か優る、と。


 滝つ瀬に根ざしとどめぬ萍の浮きたる恋もわれはするかな  壬生忠岑

古今集、恋、題知らず。生没年不詳。微官ながら歌人として知られ、古今集選者となる。家集のほか、歌論書に忠岑十体。古今集以下に82首。萍(うきくさ)−浮草
邦雄曰く、沼や池の浮草ではなく滝水に揺られるそれゆえに、一瞬々々に漂い、さまよい出ねばならぬ定め、行方も知れず来し方もおぼろ、そのような儚い、実りのない恋もするという。古今集・恋一巻首には同じ作者の「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」があるが、更に侘しくより運命的なところに、浮草の恋の灰色のあはれは潜んでいる、と。


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