白菊に人の心ぞ知られける‥‥

051127-006-1
Information−Aliti Buyoh Festival 2006−


−今日の独言− ライオンは同化された羊から‥‥。

 再び(前回12/18付)、P.ヴァレリーの文章からの引用、
出典は平凡社ライブラリーヴァレリー・セレクション 上」より。
 文学。――他のだれかにとって<形式>であるものは、わたしにとって<内容>である。もっとも美しい作品とは、その形式が産み出す娘たちであって、形式のほうが彼女たちより先に生れている。人間がつくる作品の価値は、作品そのものにあるのではなく、その作品が後になってほかの作品や状況をどう進展させたかということにあるのだ。ある種の作品はその読者によってつくられる。別種の作品は自分の読者をつくりだす。前者は平均的な感受性の要求に応える。後者は自分の手で要求をつくりだし、同時にそれを満たす。ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋−8>
 白菊に人の心ぞ知られけるうつろひにけり霜もおきあべず  後鳥羽院

後鳥羽院御集、正治二年八月御百首、恋十首。治承4年(11080)−延応元年(1239)。4歳で践祚、在位15年で譲位後、院政。幕府打倒の企てに破れ、承久3年(1221)出家、ついで隠岐に配流。在島19年で崩じた。歌人としては西行・俊成の風に私淑し、千五百番歌合など多くの歌合を催し、新古今集の選進を自ら指揮。家集に後鳥羽院御集、歌論に後鳥羽院御口伝。新古今集以下に約250首。
邦雄曰く、院20歳の詠だが、この凄まじい恋歌に青春詠の面影はない。しかも新古今歌人の誰の模倣でもない。三句切れ・四句切れ・否定形の結句と破格の構成を試みた。この歌には恋の常套は影も止めず、背信弾劾の激しい語気が耳を打つ。菊帝が白菊をもって卜(ボク)したかと見えるところも怖ろしい、と。


 人ぞ憂きたのめぬ月はめぐりきて昔忘れぬ蓬生の宿  藤原秀能

新古今、恋、題知らず。元暦元年(1184)−仁治元年(1240)。16歳で後鳥羽院北面の武士となり、後に出羽守に至る。承久の乱に敗れ、熊野にて出家、如願と号す。歌人としても優れ、後鳥羽院の殊遇を受け、飛鳥井雅経藤原家隆らと親交厚かった。新古今集初出、以下勅撰集に79首。
蓬生(よもぎふ)の宿−人に忘れられて雑草が伸び放題の家の意、歌の語り手たる女自身の暗喩ともなっている。
邦雄曰く、男の訪れ来ぬ家、蓬のみ茂るこのあばら家に、月のみは皮肉にも昔どおり照ってはくれるがと、女人転身詠の恋歌。「人ぞ憂き」の初句切れ、言外に匂わすべき恨みを、殊更にことわって強い響きを創り上げたのも思いきった技巧のひとつ。第四句「昔忘れぬ」は照る月であると同時に、契りを守ろうとする女の身の上、と。


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