をしへおく形見を深くしのばなむ‥‥

051023-078-1
Information−Aliti Buyoh Festival 2006−

−今日の独言− 若草山の山焼き

 「春日野はけふはな焼きそ若草の妻も籠れり吾も籠れり」  詠み人知らず
古今集の春上の歌である。ところで、些か時期を失した話題となるが、この若草山の山焼き、今年は8日に行なわれたとか。13万人もの人々が詰めかけ古都の夜空を焦がす炎の舞に酔いしれたといわれ、初春を彩るイベントとして年々盛んになっているようだ。この山焼きの由来、東大寺興福寺の寺領争いを解決するため繁茂する樹木を伐採して境界を明らかにしたとされるが、この説では宝暦10年(1760)ということになるから信憑性は低かろう。冒頭掲げた歌と照らしても起源はさらにずっと遡らねばなるまい。若草山は古来より狼煙の場として使われ、樹木を植えなかったという説もある。例年いつ行なうかの時期はともかくとしても、ずっと昔から山焼きの習いはあったのだろう。そして山焼きとは森羅万象、死と再生の呪術的な儀式でもあってみれば、人々はみな新生の恙無きを祈りつつ忌み籠るべき日であったのかもしれぬ。


<歌詠みの世界−「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑−10>
 をしへおく形見を深くしのばなむ身は青海の波にながれぬ  藤原師長

千載集、離別。保延4年(1138)−建久3年(1192)。左大臣藤原頼長の子。後白河院に近臣として仕え、保元の乱後、咎めを受けて土佐に流された。箏の名手で知られた。千載集にこの1首のみ。
邦雄曰く、形見の秘曲は「青海波」、盤渉調。土佐配流の際、愛弟子の源惟盛は津の国川尻まで名残りを惜しんで見送るが、この折り秘伝の奏法を伝授。第三句は「偲んでほしい」の意。師弟の情愛に満ちた交わりが胸に沁みわたるようだ、と。


 草枕むすびさだめむ方知らずならはぬ野べの夢の通ひ路  飛鳥井雅経

新古今集、恋、水無瀬の恋十五首歌合に。飛鳥井雅経は藤原雅経。嘉応2年(1170)-承久3年(1221)。刑部卿頼経の二男。参議従三位右兵衛督。俊成の門。後鳥羽院の再度百首、千五百番歌合にて頭角をあらわし、和歌所寄人、新古今集選者となる。飛鳥井家の祖。新古今集以下に134首。
邦雄曰く、思う人の夢を見るには、草枕を結ぶ方角をいずれにするのやら。馴れぬこととてそれさえ覚束ない旅。さて夢の通う道もどうなるのか。恋の趣きよりも、初旅を思わせるような怯みとたゆたいが、この一首を新鮮にしている、と。


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